徳川家康四百年祭に合わせて、家康公のご幼少を描いたマンガ
「竹千代君がゆく!」
しばらく巻頭にはこちらを張っておきます。未読の方はどうぞ!
「竹千代君がゆく!」の執筆に合わせて調べていくうちに、学校の教科書で習った江戸時代についての記述が、必ずしも史実に一致しないことがわかってきました。
知っている人は知っているような話ばかりですが、このブログではじめて聞くといった人も多いと思いますので、段階的にUPしていこうと思います。
以前、トカナに掲載された歌麿の記事に「江戸時代に鎖国はなかった」という文章を寄稿したことがありましたが、鎖国同様「士農工商が身分制度である」もまた、序列を顕すものではなかったのです。
巷では「士農工商エ○タ非×人」「士農工商印刷屋」「士農工商デザイナー」などと言って、自分の職業を卑下する時に「士農工商」を用いることがありますが、そもそも日本のアウトカーストは、平安時代以前からあったもので、江戸時代にできたものではありません。
江戸時代は当然、将軍を頂点として武士が政を司っていたわけですが、侍は名誉と誇りはあっても禄は低く、藤沢周平の小説にあるような困窮生活を送っていました。
ほかの身分から武士になることはできたそうですが、なっても下級武士の暮らしは貧しく、良いことはなかったので、なり手はあまりいなかったようです。
それ以前、戦国時代は武士と農民の身分はそれほどハッキリしませんでした。
普段は農耕作業をして、戦があると武装をしたいわゆる野伏せりがいて、それが武功を上げて出世したり、はてまた敗れては散っていたのですね。
それが今から丁度400年前の大阪夏の陣で、戦国時代の幕が降りると、戦いを業とする武士たちは一斉に失業となりました。
戦国時代を舞台にした「七人の侍」では「クマだって腹減りゃ、山降りるだよ」なんてセリフがありますが、人間腹をすかすと何をするかわかりません。
せっかく平和になった世の中なのに、失業した侍たちが食い詰めて、また戦がはじまってはかないません。失業者に必要なものは何と言っても「職」であります。
そこで計算の得意なものは商人となり、手先の器用な者は工人となり、田畠のつてのあるものは百姓に振り分けわけたというわけです。
私が子どもの時分は「百姓は民に欠かせない食べ物を作るから2番目。工人はその次。商人はモノを生産しないため、身分は一番下」と習いましたが、よく考えたら、これって共産主義の考え方ですね。
家康公がそんなこと言ったかどうか甚だ疑問ですが、明治維新と戦後によって、改竄されたことも多かった。
そんなことを実感しました。
次回はキリシタン弾圧について書こうと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。