ホドラー展を見て

一昨日、日本国宝展の前にホドラー展を見てきました。国宝展とは対象的に館内はガラガラでしたが、その分ゆっくり見ることができました。

40年ぶりの大回顧展とのことでしたが、40年前の記憶はさすがになく、フェルディナンド・ホドラーという画家をじっくり見るはじめての機会となりました。

↓ こちらwikiからの転載。
本展覧会には展示されていませんが、ホドラーの代表作であり、出世作でもある「夜」です。

私個人はこの作品の印象が強く、時代的にもクリムトなど19世紀末の象徴主義、アールヌーボーの画家のひとりと思っていました。

ところが実際に一連の作品に触れてみたところ、こうした一連の象徴主義的な作品というのは、初期の若い頃に描かれたものだったということでしょうか。

もうひとつ意外だったのは、幼少期は貧困にあえいでいたホドラーでしたが、後年に大変成功した画家だったということです。

Wikipediaからの引用
ホドラーは、1853年にスイスの首都ベルンで貧しい家庭の長男として生まれた。父親は大工であった。8歳になるまでに父親と弟二人を結核などの病気で相次いで失う。母親は装飾美術を手掛ける職人と再婚するが、しかし1867年にやはり結核で死去する。最終的には他の兄弟もすべて結核で亡くなってしまう。貧困を極めていた幼少のホドラー自身が兄弟と母親の死体を荷車で貧窮院から運んだと回想録で語っている。これら幼少期の体験が、彼の感性に「死」という存在を深く植えつけた。 

死の印象が色濃く出た作品は若い頃の作品に限られている、と言っても良いでしょうか。

成功してからは、ヨーロッパ文化の根底にある神秘主義は色濃く顕われているものの、「死」を深く意識した作品は、晩年のものであってもこの時ほどではなかったのは興味深いところです。

面白かったのは西洋美術館内のガランとした広い部屋に並んだ風景画です。

空の青の色がまさにアルプスの色。
日本では見ることのできない風景の色です。
バルテュスがスイスで描いたアルプスの色とも同じで、キンと冷えた空気感がそのまま伝わってくる作品群でした。

どれも近くから見ると粗く筆跡が残る筆致なのに、遠くから見ると絵からアルプスの空気がこぼれてくるように見えるのです。

これはマッターホルンなどの写真を見ていても、まったく伝わらないものが、絵画になると空気感が伝わるというのが面白いところですね。

広い部屋に四面、風景画がかけられているのは展示の仕方としては珍しいのですが、これはなるべく遠くから見てほしいという開催者側の意図かもしれません。

ホドラーが成功した画家だったというのは、チューリヒのスイス国立博物館の壁画やドイツのハノーファー市庁舎の会議室に据えられた作品を描いていることです。

スイスはフランス、ドイツ、イタリアに囲まれた山の中の小国ということもあって、歴史的には侵略や占領を何度もされているという背景があります。

永世中立国というのは、どこの国とも仲良くしないという意味ですし、徴兵があり、いつでも戦う準備が出来ているというのも、一見平和に見えるこの国の特徴でもあります。

そのスイスが永世中立国となったきっかけ「マリニャーノの戦い」と呼ばれる、スイス退却を描いた壁画の下絵は、象徴主義的な若い頃の画風とはまったく違うもの。
ヨーロッパの芸術家はいざとなると国を守るために筆を取り、場合によっては参戦するのですね。

ただ、絵の質となると若い頃の象徴主義的な作品の方に軍配が上がるでしょうか。
不思議なもので、政治や思想があまり色濃く出ると、芸術作品というのは輝きを失うもの。

成功してからの作品は風景画を除いて、個人的には今ひとつ魅力が感じられませんでした。

↓ またホドラーの絵から取られたスイスフランの紙幣。
もちろんスイスはユーロ圏に入らず、未だスイスフランで通しています。

ホドラーとはまったく関係のない、久々のなまけ蛙くんの受注。実はこの子は女の子。なまけ蛙くんならぬ、なまけ姫蛙ちゃんでおます。
名はElzaちゃん。堂々としたなまけっぷりは「ちゃん」と言うよりは、Elzaさまでありましょうか・・・というのは、私の弁でなく、クライアントのお言葉であります(笑)。

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