軍師官兵衛と「播磨灘物語」

電車に乗った時限定で、ゆっくり読んでいた司馬遼太郎の「播磨灘物語」ですが、ここに来て一気に読み進めてそろそろ読了いたします。こちらは、ご存知「軍師官兵衛」の底本のひとつになった名著です。
こちらは父が生前購入したもので、奥付を見ると初版本・昭和50年ですから1975年。今から30年近く前に発行されたものですね。

地味ながら大変な名著。昨今、司馬史観に疑問を抱いてるわたくしですが、やはり読ませる筆力は大したものです。

もちろんドラマとは多くの相違点があるのですが、たとえば興味深い違いというのが、官兵衛がキリスト教に帰依した時期です。
ドラマだと賤ヶ岳の戦い前後なのですが、「播磨灘物語」では、そのはるか以前。家督を継いだ二十歳過ぎくらいと、ずっと早い時期とされています。

どちらが史実か、wikiを見てもはっきり書かれてないので、よくわからないのでしょうが、官兵衛が早いうちからキリスト教の影響を受けていたのは間違いないようです。

官兵衛とは何の関係もない米沢の熊野神社。茅葺きの大きな本殿です。

殺生が已むを得なかった戦国の世とはいえ、血を見るのをきらった武将も少なくなかったようです。官兵衛の主君だった秀吉も、若い頃は死体を見るのを嫌がったとか、無益な殺生をいやがったとか。

官兵衛もまた無益な殺生を嫌った武将だといいますが、その思想のもとにはキリスト教の考え方が間違いなくあったでしょう。

「敵だから憎むというのではない。七割敵を憎むというのであれば、三割は敵を好きにならねばならない」という一文が播磨灘物語にはあります。
おそらくはイエスの「汝の敵を愛せよ」という教えに従ったものでしょうが、 戦国の世だからこそ思うことのできる深い考えが、ここに伺えます。

今のように平和な世の中(国内限定)だから、「何があっても戦争はダメ」とか「9条死守」と言ってられますが、相手の首を取らなければ、自分の一族が滅ぼされる時代に「敵を三割愛す」という考えの如何に深いことでしょう。

そう言いつつ、和睦をしたはずの宇都宮一族や北条家に引導を渡さなければならない辛さは、今のわたしたちに想像することもできません。

印象的なのはドラマでも1か月にわたって展開した、荒木村重による土牢の幽閉です。

この中で、外に見える一輪の藤に希望を見出すという場面。
藤はこの後、黒田家の家紋となるわけですから、実際に土牢に幽閉されていた官兵衛を小さいな野の草がどれだけ力を与えていたか。ドラマや小説以上だったのではないかと思います。

実際に野生の藤というのは物凄く生命力の強い木で、森にあっては、ほかの木に巻き付いて枯らしてしまう植物だそうですから、そんな意味でも官兵衛に大きな力を与えたのかもしれません。

土牢に幽閉された王が、唯一日のあたる場所に生えた雑草に希望を見出すという話は、手塚治虫の「ブッダ」にも登場しますが、これは黒田官兵衛が元ネタなのか。

それとも土牢に幽閉された人が、ひっそり咲く草木に希望を見出すのは、世界中である話なのかはわかりませんが、命のやり取りが当たり前にあった時代。
今の私たちに想像もできない世界があったのは間違いないようです。

次回は、自殺と切腹について書いてみようと思います。

米沢熊野神社の中。伊勢神宮と同じ作りだそうです。

軍師官兵衛と「播磨灘物語」” への6件のコメント

  1. おはようございます。
    得意の唐突な話ですが、
    今の生活では推し量れない、量っては為らない歴史の世界は、
    タイムマシンで垣間見たい。
    インタビューしたいですね。

    ニンゲンは想像したものを造る、ということであれば、
    タイムマシンもそのうち出来るし、
    神を既に創り出したのかも知れません。

  2. お頭さん、おはようございます!

    >今の生活では推し量れない、量っては為らない歴史の世界は、
    >タイムマシンで垣間見たい。

    タイムマシンは相対性理論が崩れない限り不可能だと思いますが、現実的な方法としては、第一級資料を読むこと、見ることだと思います。

    たとえば方丈記の原文を読めば、当時、地震や飢饉で死屍累々と転がってさまが目に浮かびます。これはいくら翻訳を読んでも、その臨場感は伝わりません。

    実際には大変な作業ですけどね。

    播磨灘物語には「信長公記」の引用が数多くあります。
    古事記でも日本書紀でも、権力者の記述は自分に都合の良いことばかり書いているものですが、その時代の空気感や雰囲気は真実です。

    司馬氏はそこを上手に汲み取って、現代語に書き直しているのですね。

  3. 熊野大社は、米沢の隣の南陽市にある神社ですよね。
    ここの9月に行う祭事は、参道の両側にろうそくを並んで、日が沈むと幻想的で美しい光景が見られますよ。(偶然その日の19時に参拝しました)
    本殿裏の三羽のウサギ透かし彫りを発見すると願いがかなうとかの言い伝えもあります。 熊野大社とはいいながら、八咫烏はいないし、全国の有名な祀神をみんな摂社にして境内に置いてあったりで、わたくし的にはまったく感心しない名ばかりの熊野でございます。梵鐘がそのまま残っているのもいやです。
    紀伊半島の熊野三山、出雲の熊野大社の次なんて、なんておこがましい。

    なによりも、門前の街並みが荒れ放題では立派な参道をあるいていても、気分は盛り下がるばかりです。神様なんだから、氏子の皆さんと一致協力していかないと。 もう神前結婚は永久に流行らないだろうから、かつての盛り上がりを再現するなんて夢はやめるべきではないかと思いますね。日曜の昼から参道の店が全部締まってるってなんなのだろう。

  4. 仏茶さん、こんにちは!

    うーん、だいぶ手厳しいコメントですね(しかも本文とまったく関係ない写真)。
    ほかの熊野神社がどういうところか、わからないので、比較してみてここの熊野が良いとも悪いとも言えませんが、私はここの空気に気持ち良さを感じました。

    ご意見は人それぞれですが、こちらは米沢を案内してくれた方が、好きなところだと連れていったところです。このコメントを読んだら、決して良い気持ちはしないと思います。
    土地の人は土地の人で、それぞれ思い入れがあるものです。なにごとも正直にモノを申されるのはけっこうですが、多くの目がある場所で、ここまで全否定されるのも如何なものかと思います。

    ご一考いただけるとありがたいです

  5. ここの熊野神社はかつての栄光を取り戻そうと運動しています。
    観光目的でがんばっているのなら、悪く思われているのを伝えるのは、悪いことではないでしょう。多くの目にふれることで改善していただきたいものです。
    昨年の宵祭りのときの素晴らしさと、昼間に参拝した今年では、受けた印象がまったく異なりました。あの寂れた様子は、県外から人を呼び込みたいのであれば、訪れた者にそんな気持ちを抱かせてはダメだと思いますよ。意見を全否定と受けたられるのはどうでしょうか。

  6. 仏茶さん、こんにちは

    なるほど、改善してほしいという意図だというのはわかりました。
    米沢の熊野神社関連の人も、仏茶さんが好意でおっしゃっているのは理解してくれたでしょう。改善を期待したいところです

    >意見を全否定と受けたられるのはどうでしょうか。

    たしかに読み直すと全否定というわけではありませんね。
    正論は時に厳しいものですし、必要なものではありましょう。
    しかしながら、たとえ正しいことを言っていても、それが相手の気持ちに伝わらないと意味がありません。
    ネットの文章ということを考えると、なおさらです。

    >紀伊半島の熊野三山、出雲の熊野大社の次なんて、
    >なんておこがましい。
    >なによりも、門前の街並みが荒れ放題では立派な参道を
    >あるいていても、気分は盛り下がるばかりです。

    私自身は天気も良かったこともあり、好印象だったため、仏茶さんがそこまで言われる理由が理解できなかったのですが、たぶん仏茶さんの報告の時より良くなっていたと思います。
    町並みは賑わっているとはお世辞にも言えませんでしたが、機会があったらまた来て確認していただければ幸いです。

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