昨日と一昨日は郡山へ出張に行ってきました。今回はるるぶ郡山の絵地図と、福ケッチァーノに飾る絵とのダブル取材でした。
さて、その福ケッチァーノのお絵描き。
どんな絵を描くかは、まだこれからスケッチを重ねないと見えてきませんが、今回の絵のテーマは郡山の生産者が作る野菜と農場ということで、2日で6軒の農家をまわって話を伺ってきました。
いや、それにしても、どこの農家も志が高いのに驚き!
今回は何度かに分けて農園リポートをしようと思います。
↑ こちらは、けるぷ農場で栽培している種取りのためのキュウリ。
キュウリって、こんなに大きくなるんですね!
ここでは種苗会社から種を買うのではなく、独自で栽培した種から農作物を作っています。手間はかかるけど、その土地に合った作物ができるんだそうです♪
昔、「美味しんぼ」でトマトの栽培の話があり、ハウスの中で原産地のアンデスと同じ環境にしたトマトが、すごく美味しくなるというエピソードがありましたが、けるぷ農場の佐藤さんの考え方はかなり違いました。
もちろん、佐藤さんは原産地と同じ環境にした野菜を否定するわけではないのですが、それよりは日本、それも郡山という場所の環境に合った野菜を育てたいというのです。
たとえばトマトの原産地はアンデス山脈。
ゴマの原産地は西アフリカ。
ナスの原産地はインド。
でも今、その野菜が置かれている場所は郡山だというわけですね。
種から育てていくと、 1年目2年目ではまだまだダメだそうです。
5年目あたりから良くなり、7年目8年目でようやく出荷して売ることのできるものができるということで、10年弱スパンで育てていく実に気の長い話なのですね。
ただ、よく考えてみると野菜が原産地からやってきた長い道のりに比べたら7年8年というのは、実に短い期間です。
数100年、数1000年かけてわったきた野菜が、わずか7年くらいでその土地に適応するのですから、植物って本当にスゴイ!
そうやって、土地に適応した種は病気にも強く、味も力強いということだそうですが、なるほど植物の適応力を利用した農法というわけです。
ただ、ひとつ心配なのは、アメリカの法律では種苗会社から購入した野菜以外は売ってはいけないという決まりがあるそうで、TTPが入ってくると、佐藤さんがやっている種から育てるという方法ができなくなる可能性もあるんだとか。
種苗会社が売っている品種の多くは、一代で終わり。
種を購入しない限り、次の代ができない品種が多く、 種苗会社はそこで既得権益を得ているわけですが、自然の摂理に反したこの決まり事。いったい如何なものか。
TTPは農協や漁協などの既得権益を打ち破る意味では賛成していたのですが、反面、種苗会社の既得権益にはプラスだったりするのですね。
佐藤さんのキュウリ、ガブリと齧りましたが、実にみずみずしく美味しかっただけに、ちょっと心配なところです。
続きはまた次回!
こんにちわ。
お仕事とはいえ、お疲れ様でした。
>TTPが入ってくると、佐藤さんがやっている種から育てるという方法ができなくなる可能性もあるんだとか。
グローバリズム、垣根を取っ払うとかやっぱり人間の浅はかな勝手、
の様な気がします。
鎖国とまでは申しませんが、ローカリズムでしょうね、今後は。
ニンゲンもその土地で育ってるんだから、その土地の物食いましょう。
着る物だって、ネクタイなんか〇そ〇らえ、
少なくとも夏期は下駄、草履を認めましょうよ、ここはニッポンだもの。
何で一流ホテルはその履物を敵視するの???
あっ、脱線気味、失礼しました。
アセナは看板架け替えてないです。
だからまだ営業してません、平日に暗いと、なんか、寂しい。
9月4日(木)は考えちう。
お頭さん、おはようございます!
種の話、反応されると思いましたが、やはり。
いやあ、困っタネ・・・なんて、ウフッ♪
いやいや、シャレになりません。
そもそも、自然に自生地に適応した種を使って農業をするのは、
ごくごく自然な道。
それを禁止するなんて歪みきってます。
農業も大勢を食べさせるには工業製品的な考えも必要でしょうが、
そのワクにすべてはめてしまおうというのは、米国独特の傲慢な考えです。
TTP、ちょっとどうかなと思った次第。
それはそうと、秋口に魚三
かなこさん夫妻と如何でしょう?
アセナはだいぶ先になりそうだし。
こんにちわ。
本日があぢさのピーク、だといいですなあ。
>それを禁止するなんて歪みきってます。
彼らは自分たちをアニマルとは思わないからでしょう???
一神教の神の次の存在?
んなことねーだ、雑食の我々は害虫みたいなもんでしょ、
という謙虚さをお教えしなくては。
秋口の魚三、サンマ苦いかしょっぱいか。
お頭さん、おはようございます!
>彼らは自分たちをアニマルとは思わないからでしょう???
昔、英会話を学んでいた時、
“Human being is thinking animal”(典型的ジャパニーズ・イングリッシュ)と言ったら、animalは人間に決して使わない。
creature か living beingにすべきだと言われて驚いたことがあります。
その人は別に白人至上主義者でも何でもありませんでしたが、
言葉として人間と動物の住み分けが染み付いているのだと思いました。
種を自分とこで独占する。
究極のファシズムだと思います。