オルセー美術館展、見て参りました。
うんざりするほどの人垣でしたが、それでも見るものの多い展覧会。
今回は印象派の作品と、それ以前にパリ画壇に君臨していたサロン・ド・パリこと「王立絵画・彫刻アカデミー」の作品を一緒に並べているのが興味深いところ。
サロン・ド・パリというのは、以前にトカナ掲載の記事でも書いたことがありますが、日展がそのシステムを参考にして設立したという団体で、文字通りフランス絵画界の権威でありました。
そのサロンで絶賛されたというのが、1863年に発表されたという、このアレクサンドル・カパネルの「ヴィーナスの誕生」です。
この絵は同年、サロンに出品されたマネの「草上の食事」などと、しばしば比較されるので有名な作品ですね。
カパネルの「ヴィーナスの誕生」を見ると、当時サロンが持っていた美の基準というのが、どういうものだったかよくわかります。
・筆跡を残さないのが良しとされた。
・描写はきわめてリアリスティックに。
・歴史的背景や神話のエピソードはきちんと画面に表現する。
などといった、サロンの中で決められた価値観の中で表現することが求められていたのですね。
印象派の画家たちが有名になったのは、あえてそれに反発し、サロン展のすぐ近くで「落選展」を開くといったイベントをしたこともあったのですが、今、こうやって一堂のもとに絵を見比べてみると、やはり印象派というのは画期的だったと思います。
印象派が当時、浮世絵の影響を受けていたというのは有名ですが、今見ると、想像以上の影響があったことがわかります。
線や構図など、うわべの見た目のことはもちろんなのですが、印象派・・・特にマネが文字通りマネたのは(・・・なんて、ウフッ♪)、引き算の絵画を取り入れたということでしょう。
絵というのは、料理と似ているところがあって、手間をかけさえすれば良いというものではありません。
煮込めば煮込むほど料理が不味くなることがあるように、描けば描くほど、絵がダメになることも多いわけです。
日本の絵画はたった一筆、一本の線によって、すべてを表現するのを良しとするように、マネの絵もたった一筆の白い線によって、アスパラガスの光沢を表現します。
↑ 上にある「笛を吹く少年」も背景を描かないことによって、少年の姿を浮き上がらせている。余計なものはいらないのですね。
人の顔でも同じこと。カパネルの「ヴィーナスの誕生」にある天使の顔をご覧ください。怖い顔してるでしょう? なんか、かわいくないんだよね〜。
絵というのは余程の名人でも、描写すればするほど表情がなくなるものです。
マンガの線の方がよほど表情が出るんですよね。
17世紀スペインの宮廷画家ベラスケスの作品を見ると、若い頃の筆跡の残らない技法では、人の表現が生固いものの、点描をはじめた後期の作品では表情どころか、人間の内面まで描いているのが驚きです・
次回は点描について書いてみましょう
上野の工事業者に打合せ行って、とんとん拍子だったので、
「女王と女神」展を観ちゃいました、
マスオさんが「オルセー美術館展」が混んでるとのことなので???
こっちも平日なのに混んでる方だったかな?
どこかの中学生と思しき連中がイヤホンして、熱心にメモを取っていました。
眼差し真面目でした、偉いぞ。
なにか夏休みの課題なのかなあ?
なんにしても、午後の猛暑のピーク時間帯の1600円の避暑でした。
ちったあ自習に成ったわい。
クレオパトラより賢明な女王が居たようで。
(そんな程度かよ)
本日も猛暑、もーしょーがない、あれ???
お頭さん、おはようございます!
おお、見てきましたか。
私はエジプトってそうでもないんですが、西洋人はエジプト大好きですな。
やっぱり西洋文明の源流だからでしょうかね。
ところで展覧会の感想がないんですが、良かったですか?
感想ですか、頭の中が乾燥しちまって...。
感動は有りませんでしたが、金細工でいつも思う、
なんでこんなん作れんのぉ、です。
金無垢で、重とうありまへんか? とも。
(なんでか、関西言葉???)
いやしい目つきだったと思いますぅ。
お頭さん、おはようございます!
>感動は有りませんでしたが、金細工でいつも思う、
おやおや、正直なお方やなあ。
というか、文章の意味がよくわかりません。
早く言えば、あまり琴線に触れるものはなかったということですね。
だとすれば、ある意味、そういう展覧会だったかもしれません。