静岡は風水の町、気の流れの良い町でした

家康公が8歳から今川家の人質となり、そこで暮らし学びを受けたという臨済寺に咲いた蓮の花であります。

来年の家康公の没後400年に合わせて発行される、「るるぶ家康(仮称)」の取材で静岡市に行ってきました。

徳川時代には静岡は駿府と呼ばれ、今川氏の人質として幼少時代を過ごし、生涯最後の10年間を過ごした家康ゆかりの地であります。

家康マニアの担当者と一緒に新幹線で、9日朝10時に静岡駅到着。
台風が近づいている中ですが、 てくてくと約8時間。

小梳神社、宝台院、県庁前、金座町、上魚町、浅間通りを通って、浅間稲荷神社、臨済寺、駿府城公園、華陽院と、主要なところをほぼ回ってきました。

静岡の町を回って驚いたのは、伝馬町、金座町、両替町など、東京にありそうな町名がひしめいていること。

何と言っても江戸の礎を築いたのは家康公ですから、 当たり前といえば当たり前なのですが、駿府城跡にしても、その周りの道などは皇居近くそっくりな景色があるのにびっくりです。

風水をよく考えて作った町であることは間違いなく、静岡駅をスタートして、きれいに出発地点に戻って来れる作りは、いかにも気の抜け道が良い、地脈が良いということ実感させませした。

こちらは金座町の交差点に堂々と構える静岡銀行本店。斜め前は清水銀行本店です。

金座町というだけあって、この周辺には地元の銀行がひしめいているのですが、静岡銀行という名を見て、あることを思い出しました。

バブルの時代、土地を担保に他の銀行がじゃぶじゃぶお金を貸し、ことごとく焦げ付いていたのを尻目に、静岡銀行だけは余計なお金を貸さずにいたのです。
当時、海外からの評価もAAA(だったかな?)

地元ではケチん坊で有名な銀行だったそうですが、これはきっと慎重きわまりなかった家康公の気質は金座町とこの周辺にその教えが行きていたのですね。

さすがは徳川家康。
後年のバブルにも家康の教えが活かされていたというわけでしょうか。

続きはまた明日以降、UPすることにして、地図作りをはじめないとね!

 

 

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