昨日は九段下にあるスタジオでテーマ曲の収録。ほんわかしたアニメの主題歌らしい音に仕上がりそうで、音楽に合わせた絵コンテを私が担当します。
さて、そんな関係で昨日は愛知から来たお客さまと「忠臣蔵」の話になりました。
忠臣蔵の悪役ぶりとは裏腹に、実は吉良上野介は名君だった、民のことを考え、サツマイモを普及させたのも吉良公だったとか、地元愛知では忠臣蔵を上演しない・・・などと言った話です。
愛知の人にしてみると、忠臣蔵というのは、ハリウッドが描くパールハーバーみたいなもので、あまり愉快なものではないようです。
芝居が有名になって、史実とは違う話が世に普及するのはよくある話。
お芝居の仮名手本忠臣蔵は政治的な作為で作られた話ではありませんが、その点は従軍慰安婦や南京大虐殺と共通するかなと思い、簡単にwikiを開いてみたところ、意外なことがわかりました。
まず、吉良上野介が大名でも何でもなく、旗本であったこと。これは完全に私の無知でしたが、ちとびっくり(たぶん、このブログを読んでいる方の多くが、そのことを初めて知ったとでは・・・?? 違っていたらスミマセン)。
サツマイモを普及させたかどうかは別にして、赤穂も三河(吉良)も砂地が多い土地で、どちらも砂地に適したサツマイモの栽培方法が喉から手が出るほど欲しかったとか。
当時、サツマイモの研究をしていた青木昆陽に栽培方法を教えてもらおうとしましたが、昆陽は赤穂にのみ栽培法を伝え、吉良には教えなかった、その腹いせに浅野内匠頭を挑発したというのです。
もっとも、この話も史実かどうかわかりません。
言えていることは、仮名手本忠臣蔵の大半が作り話だけど、浅野内匠頭が殿中で吉良上野介に斬り掛かったこと。浅野だけが切腹申し付けられたこと。四十七士が討ち入りをしたこと。これは史実なようです。
このように、私たちが知っている歴史や知識というのは、乱暴な話ですが、たぶんに張りぼて的な要素があります。
天動説を信じていようと、いるまいと、人間というのは普通の暮らしができるものなのですから。
とはいうものの、私たちの暮らしというのは、先祖はいて自分がいてさらには子孫がいるわけで、物理的に繋がっている歴史があります。
過去・現在・未来をつないでいる、実際の伝承ですね。
三内丸山遺跡から見つかった栗を見れば、栗が栽培されていた可能性があるといった、作られていない歴史です。そうやって栗を食べていた縄文人が、私たちのご先祖様であり、厳然と実際に伝承されてきたものがあるわけです。
残念ながら、そんな意味で私たちは完全な史実というものを知ることができません。
そこには張りぼての歴史と、物理的に過去と現在と未来をつないでいる歴史の混合されたものがあるのですが、私たちはそれを完璧に分けることはできません。
私たちにできるのは知っている範囲の歴史から未来を学んでいくわけですが、そんな意味で、忠臣蔵以上に作り話をしているお隣2国から「正しい歴史認識」なんて言われても・・・なんて、ニュースを聞くたびにそんな気持ちになるこの頃です。
この続きを本当は書きたかったのですが、それは後日ということで。