年下の父と年上の自分


本日は他愛のないお話を。

昨日、BSをつけたら久々にあの「タイタニック」をやっており、
キッチンで料理の準備をしながら、見るともなしに見てしまいましたが、
マストで両手を広げるあの名シーンといい、やはりはじめから名画の風格が漂ってますね~。

ディカプリオもこの時が最高潮で、先日「J・エドガー」を見たあとだけに・・・うーむ。
月日の経過を実感した次第であります。

久々に見て思い出したのですが、この映画はケイト・ウィンスレット扮するヒロインが、
高齢になってから、タイタニック遭難の回想をするという形式になっています。

老婆になったヒロインが、ディカプリオ演じるジャックを思い出す
遠い視線に言い知れぬ美しさを覚え、
思わず年のせいでユルくなった涙腺からはからずも熱いものが・・・(うう)。

それで正ちゃん帽さんのブログを思い出したのですが、
若い頃の親父そっくりな人を見かけたという話がありました。

また先日、わたくしも教員時代の教え子さんからFacebookで連絡があって、
「当時の先生より、ずっと年上になってしまいました」と書いてありまして、
当然ながら、加齢を重ねていきますと、
親の昔の年齢よりもずっと年上になっていくものであります。

ところが人というものは、スタートした時から人間関係というのは変わらぬもので、
親にしても「若かったけど、いっぱしのつもりでいたわよね」なんて言うものの、
それで自分が当時の親より年上になるわけじゃないのが不思議なものであります。

あの「フィールド・オブ・ドリームス」のラストは若い父と、
年齢を重ねた主人公がキャッチボールをする場面でしたが、
あれも不思議な美しさのあった映像でした。

亡き父は、幼かったわたしを「てんてこりん、てんてこりん」と言いながら、
両手足を使って床と水平に、飛行機の格好をさせてくれたものですが、
親はかわいい一心で育てたんでしょうね。

ああ、今はあの時の親父より、ずっと年上になってしまったけど、
やはり親父は一生追い抜くことはできません。

それにしても、あの「てんてこりん」はどんな意味だったんだろう?
変わり者の父でしたが、未だに意味のわからないことがいっぱいです。

画像は最近UPの続いてる拙作おすもうエンジェルシリーズ「建立・摩利支天」です。

摩利支天(まりしてん)とは聞き慣れないと思いますが、インド由来の勝利の神さまであります。
ひとたび摩利支天が加勢すれば、向かうところ敵なし。
勝利の女神として戦国時代には人気があり、あの楠木正成公も尊崇していたといいます。

猪に乗り天女の姿で描かれることが多かったそうですが、
現在でも摩利支天を祀っている社寺は、上野アメ横近くの徳大寺くらいと少ないようです。

この作品の摩利支天のモデルは、鎌倉は材木座近くにある五所神社のもの。
詳しくは拙著『ぶらり鎌倉スケッチ散歩』を参照くださいませ。

さあ~、来週は2年ぶりの大阪場所だぞ~♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>