行司、審判~人の判定はたいへんです


昨日の記事で、審判があの雰囲気の中で”飲まれていた”と書きましたが、
ほかの記事を見ると、”よく見て裁いていた”とありました。

とてもそうは見えなかったけど、こちらもたまたまチャンネルを回して見ていた程度で、
キチンと全体の流れを見ていたわけではないので
私の方が間違っているかもしれません(まあ、どっちでも良いんですが)。

そんな意味で、審判というのは大変な重責です。
港区柔道連盟の審判をしている、私の友人は「試合より審判の方がイヤだ」と言ってまして、
これが子供の大会などでも、選手の方は一所懸命にやってますから、
審判の判定に親や応援団から不満やヤジが飛ぶことも少なくありません。

ましてオリンピックやワールドカップ予選など、頂点に立つ試合ではなおさらです。

シドニーオリンピック柔道の決勝、篠原とドイルの判定で、
篠原がかけた内股すかしを、ドイルの技ありとされ、
逆判定で金メダルを持って行かれたことがありましたが、
審判をしている彼に言わせると、あれは現場にいたら、
あのように判断しても仕方ないと言っていました。

柔道では、かけた方が投げられたように見える現象というのは少なくありませんが、
(両方飛んでしまうことがありますからね~)
それを見てキチンと判断するというのは、相当な経験と目が必要というわけです。
(私はまったくできません)。

さて。
そんな意味で、大変な重責だなと思うのはお相撲の行司です。

よく相撲好きだった亡き父が、
「あの行司というのは何のためにいるのか。
 ノコッタノコッタと声をあげて景気づけをしているのは良いが、
 けっきょく微妙な判定では、物言いがついたりして、何の権限もないじゃないか」
なんて冗談で言ってましたが、
そんな行司の大変さは世間では理解されていないかもしれません。

よく「物言い」に笑う人も少なくありませんが、
あれは通常のスポーツにはない、審判のダブルチェックシステムです。

普通のスポーツには主審と副審がいたりしますが、
多くの場合、主審に決定権があり、
大相撲のように、まわりで見てる方に最終的な決定権があるのは珍しい。

さらに判定が微妙な場合は、「両者同体とみて、取り直し」。
いや~、お客さんは一番儲けて見られて、大喜びという寸法です。

そんな意味で、相撲ほど最終的な判定に不満が出ないものも少ないのではと思います。

野球では、ボールとストライク、タッチアウトとセーフをめぐって、
審判と監督が口論になって、監督が退場・・・なんてケースが目立ちますが、
大相撲で、力士が行司に食ってかかるのは見たことがありません。
(やっちゃいけない規則があるのですが)。

行司が差している脇差は、間違った判定をしたら切腹をするという覚悟の顕れだそうです。

さて今場所から結びの一番を締める、三十六代立行司木村庄之助さん。
お、行司が変わったなっと思わせる存在感、見事な口上。
鹿児島出身らしい、濃い顔とまゆげが立派です。

実際に本場所を見に行くと、平安時代のお武家装束と言われる行司の衣装は、
何とも華やかで相撲の雰囲気をもり立ててくれます。

どうぞ、九州のみなさん。
空席の目立つ本場所ですが、足を運んであの雰囲気を味わってくださいませ!

画像は先場所、横綱と稀勢の里の取り組み前。
横綱白鵬と遜色ない、というかそれ以上の風格でした。

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