日曜美術館〜石田徹也の世界

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↑ 写真はたんどーる」に行ったあと、沼袋の周辺を散策しました。商店街から外れたところは、如何にも寂しいが、「これがイマドキ?」という中華料理店やスナックがやってます。

うーん。いったい誰が行くんだろう。
私にとって沼袋はたんどーるの町でした。

で、石田徹也の絵はこちらと・・・

こちら

いや、すごい絵ですな。
どうしたら、こういう絵が描けるのやら。

ちょっと、自分のブログに載せたくなる絵でないので、リンク先で拝見していただくとして・・・

1973年生まれで2005年、鉄道事故で夭折。
享年31歳で自殺とも言われてますが、こういう絵を描いたていたら長生きできないかもしれません。

それにしても、絵の中に出てくる自画像と思しき人たちの表情の悲しそうなこと!
悲しみを絵画にするというのは、描き手にとって、ものすごく消耗する作業なのですが、ある意味で若くないと描けない絵です。
ある意味、今大ヒット中の「進撃の巨人」に共通するようなものありますね。

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石田徹也は居酒屋で飲んでいても、「俺、何だこんなところにいるんだ。絵を描かなきゃ」と、家に戻って絵を描く毎日だったと、石田氏の友人が証言してました。

フラフラ、すぐに遊びに行きたくなってしまう私には、とてもできません。
絵を見るとお酒の強そうな人の描く絵じゃなさそうなので(何でわかるって? わかるから、わかるのですわ♪)、居酒屋より家で絵を描く方が良かったのでしょうが、帰って描く絵があれというのは、私などから見ると、消耗しに戻るようなものであります。

定職にはつかず、夜のアルバイトで生活費を稼いで、あとは絵を描くという暮らし。

世間が絵描きに求める期待通りの生活ですが、それがどんなに苛烈なものか、想像するだに恐ろしくなります。

でも、石田徹也さんは、そういう環境でないと、ああいう絵が描けなかったのかもしれません。

絵描き仲間と石田徹也の話をする時、
「何で世間は絵描きを死んでから有名にしたがるんだろうね」
なんて話をするのですが、この人の場合、売れて有名になって同じ絵が描けるかなって感じもします。

その点、起業家としても成功してる村上隆氏とは真逆のアーチストなんだけど、世間は意外に石田徹也の方を面白がったりします。

個人的には作品も生涯も、ベラスケスやリューベンスといった画家を尊敬してますし、また絵描きはちゃんと食べていくという点でも、そうした画家を手本にすべきと思うのですが、石田徹也の絵は、それでは描けないというジレンマもあります。

作家でも「幸福だと書けない」という人がいますが、石田作品の吸い込まれるような悲しい目を見て、ため息がついた次第です。

さー、締め切りがある幸福。

明日中まで頑張らないとね〜♪

 

↓ 余談ながら、石田徹也が亡くなった同じ32歳というと、わたしはこんな絵を描いてました。

丁度、離婚をした直後の絵で、大学時代の恩師で太宰治研究で知られる奥野健男先生は、この一連の作品を「なんと悲しそうな絵だ」と評してくれました。

その後、おすもうエンジェルのシリーズに変わり、「絵画もキミのような絵描きが出てきたね」と絶賛してくれた一方で、「小暮の絵も『悲しみ』が消えちゃったねえ」とおっしゃっていました。

先生の言葉はわたしのじまんでもあるのですが、『悲しみが消えちゃった』というのは、時々思い出して、果たして良い意味か悪い意味か考えます。

きっと両方なんでしょうね。

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