あ、誤解しないでください。
勉強が必要ないと言ってるのではありません。
むしろ、社会人こそ勉強しないといけないんですが・・・
先週の土曜日は仲間内の勉強会に参加しました。
何と「哲学」を中心にした勉強会ですが、実は西洋哲学はいちばん私の苦手な分野です。
若い頃、ニーチェを読もうとしたことがありますが、
翻訳が良くなかったのか、途中で投げ出した覚えがあります。
それが、出席だけでなく「仏教」について話をしてくれということで、
講師をすることになりました。まあ、持ち回りなんですが。
話は1時間ほど・・・可もなく不可もない程度に済みましたが、ひとつ反省が残りました。
仏教でも哲学でも、何かしら思想のからむものの多くは、
1、難解な考え方の一方、
2、普通の生活をどう送るかという考え方、
この2つが二輪の車軸のようにあります。
ところが、それらを勉強してると、宇宙とは何か、空とは何か、無とは何かといった
難解な思想の方にエネルギーが注がれます。
難しいことを理解するのですから、それなりの努力は当然必要なのですが、
一方で、2の普通の生活をどう送るという話は、わりあいおざなりになってしまいます。
というか、見向きもしなくなってしまうケースが多い。
ホントは普通の生活を送る方が、難解な思想を勉強するよりはるかに大切なんですが(普通は)、
文字通り生活に密着しすぎてるので、趣味にするにはキツいんでしょうね。
空海は、密教という文字通りひみつの教えを弟子たちに伝えていった一方、
満濃池の改修工事といった民衆のための土木工事を、生涯を通じて行いました。
密教の教えは、修行を通じて会得した人でないと理解できませんが、
満濃池の改修工事は、誰が見てもわかります。
私たち普通の人間にとっては、そちらの方がはるかに重要なはずなんですが、
話が背伸びしてしまった点・・・反省です。
もっとも、どう生きるかって話は抽象的すぎて一番難しいのかもしれませんが。
え? それで、いったいどんな話をしたのかって。
ウーム、それはひみつ。
いずれどこかで公開いたしますので、そちらはそちらでお楽しみに!
画像は「どんどん」壁画のラフスケッチです。