”もののあはれ”といふこと

インドのアチャールくん 血の女神
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昨日の記事であ@花さんから「もののあはれは理解できない」という米が寄せられましたが、同じように思う方は世の中にけっこう多いようで、実はわたしの父も同様なことを言ってました。

父の場合は理解できないというより、「”もののあはれ”などを感じて歌など詠む」というのが嫌いだったようです。

白土三平先生の忍者ものに、「しかるに世の貴族どもは、民百姓の飢えたるも知らず、歌などにうつつをぬかしておる。この腐りきった世の中にひと風吹かせてやるか」と言う、平将門のセリフがあります。
親父の場合、昭和一ケタの年代に多い貴族ぎらい歌ぎらいに加えて、物理学者という立場もあったのでしょう。

当然ながら、「もののあはれ」の”あはれ”は、普通に使っている「哀れ」とは違います。

意味が多過ぎて一言で説明できるものではありませんが、強いてひとつといえば「移ろいに感じる気持ち」ではないかと思っています。

「娘も大きくなったもんだ」とか、「近頃は日が長くなったもんだ」でも良いと思います。
今のシチュエーションだと「親父もそんなこと言ってたけど、もういなくなっちゃたよな」も、もののあはれでしょう。

これは仏教でいう「無常」でありますが、無常と「もののあはれ」は同じではありません。なので、わたしのこの考えるが「もののあはれ」の定義づけになるわけではありませんが、起点くらいになるのではないかと思います。

わたしなどもタイプ的に言うと、出品されていた平安時代の馬具を見ながら、

「馬具(バグ)はリセットしなきゃ・・・なんて、ウフッ♪ 」

なんて言ってる方ですから、もののあはれとは無縁な人間なのですが、やはり絵描きである以上は感じるものがないといけません。

さて、源氏物語の原文を読んだ人なら誰でも感じるのが、主語がないので誰が何を言ってるのかわからないことです。
当時の人なら、 あの時代の複雑な尊敬語や謙譲語で、誰が誰に何を言ってるのかわかるのですが、今の人間にはチンプンカンプンです。

また紫の上とか頭中将、夕顔、浮舟、朧月夜などといった登場人物は、原文ではそのように書いてありません。あれは後世の人が、人物像を区別するためにつけた名で、光源氏ですらも本名が何であるか、原文では記されていません。
(身分の高い人に本名で呼ぶのは、忌むべき行為とされていたようです)。

頭中将に至っては、課長、部長といった官名ですから、その後に右大臣となり太政大臣に出世しますから、なおさらややこしい。

そんなややこしい原文が、なぜ未だに読み継がれているかといえば、ひとつには読み進めていくうちに一千年前の京都の落ち葉が眼前にいきなり顕われたり、宇治川の水音や風の吹きすさぶ音が聞こえてくることでしょう。

これも「移ろい」とは違いますが、「もののあはれ」のひとつと言えます。

・・・て、余計「もののあはれ」が何だかわからなくなったという声が聞こえてきそうです。いや、わかんなきゃ、わかんないで良いんですけど。
わからなくて困るモンじゃないんだから。

漱石と鴎外に関して、源氏物語は意見が真っ二つに分かれていたそうで、鴎外にとっては理解不能だったそうです。
もののあはれと源氏物語は日本文化のいわば柱だと私は思っていますが、鴎外の例やあ@花さんの意見を鑑みて、そうでない流れを考えてもいいかもしれません。

そのうち、アンチ源氏物語&アンチもののあはれについても考察してみたいと思います。私自身、どちらかというと体質はそちらに近い方だと思うので。

”もののあはれ”といふこと” への4件のコメント

  1. 源氏物語、鴎外にとっては「理解不能」だったんでしょうか。私ははっきり言って理解不能というより「嫌い」です。
    要するに生産に携わらない暇人がごちゃごちゃやっているとしか思えないのですよ。ちなみに、視聴率が悪かったという平清盛ですが、私がうんざりして見るのやめたのも宮廷内の人間模様がうざくてうざくて、今にいたる日本人の談合体質がこの頃から続いていたのかとうんざりしたからです。
    さっきついったーで「私の考える美しい日本の風景」を送りましたが、ああいう風景って人の営みが感じられるでしょ。何しろ田んぼがあって、山があって、人家があって、地に足がついた「生活」がそこにあります。
    それが私の考える「日本の美しさ」です。

  2. あ@花さん、おはようございます!

    >要するに生産に携わらない暇人がごちゃごちゃやっているとしか思えないのですよ。

    言われてみれば「源氏物語」はそのような話であります。
    源氏の人間関係。実際に遭遇したらたまったものではありませぬ。

    日本が明治維新後にすんなり近代化できたのに対し、朝鮮半島では、それがすんなり行かなかったのは、労働を卑しいものと考える両班(りゃんばん)・・つまりは貴族の存在があったからに他なりません。

    明治維新以後の日本を育んだのは、名誉以外には経済的にはほとんどメリットのなかった武家の存在があったからこそでしょう(今はそれが崩壊しつつありますが)

    >それが私の考える「日本の美しさ」です。

    日本の発展を支えた美しさですね。
    わたしも最近、日本の田園風景には惹かれるものがあって、何点か小品として描いてみました。愛甲さんの家にあるものもそのひとつです。

    それとは別に源氏物語の美もまた日本の美であります。
    膨大な手間をかけた染め物、織物。
    伝統的な日本庭園などは源氏の六条院をモデルにしてきました。
    それはそれで、どちらもあってよろしいのではないでしょうか。

  3. はい。どっちも日本の美、その通りだと思います。
    ただ最近自分の資質の棚卸しをしていて思うのは、あまりに極端な耽美的な趣味とは自分は距離を置きたいな、ということです。私は画伯の絵が大好きですが、それは美にひかれるのではなく、生命力にひかれるのです。画家としてうれしいかどうかわからず勝手に言ってるだけですが。
    もちろんきれいな工芸品はなんかが日本から生まれるのは誇らしく喜ばしいことではありますし、それを暇人文化が支えてきたのもたしかです。それをたまに愛でることは悪いこととは思いません。でもあまりそっちに引っ張られない自分でいたいかな、と。

    ちなみに漱石と源氏物語は、私の中で同じ系譜です。漱石が源氏物語を愛したというのはとってもうなずけます。

  4. あ@花さん、おはようございます!

    >それは美にひかれるのではなく、生命力にひかれるのです。

    いや〜、嬉しいことをおっしゃってくれる!
    まさしく胆はそこですね。
    それがなくなったら、わたしは筆を折らないといけないかもしれません。

    田園風景の写真、送られた時は「やられた」と思いました。
    あまり自分で気がついていなかったことでしたからね。

    そして、なぜ自分も田園風景を描くのか、自分の中で説明がついてなかったのですが(絵を描く時はいつもそうですが)、その理由がわかりました。
    要は人の営みですね。

    >あまりに極端な耽美的な趣味とは自分は距離を置きたいな

    わたしも明らかにそちらの世界の作家ではありませんけどね(笑)。
    たまに見ると凄いなと思うし、自分にはできないと思います。

    >ちなみに漱石と源氏物語は、私の中で同じ系譜です。

    ああ、たしかに。
    「こころ」も「それから」もみんなそうだ。
    納得です。

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