木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


昨日のアクセス数に比べ、案の定、本日の数字はガクンと下がりましたが、
それでも余韻が残っているのか、普段に比べるとかなりの数字です。

ブログの継続というのは、けっこう労力のいるもので、
直接仕事に結びつくものではないのですが、自分の発信することを人が読んでくれるのは、
ものづくりをする者として本望なので、今後も継続していきたいと思いますので、
どうぞ、みなさま引き続き「小暮満寿雄 Art Blog」をよろしくお願いします!

さて、Art Blogと銘打ちながら、近頃とんとアートの話はなく、
連日の相撲談義ですが、本日も格闘技関連のお話。
よろしければ、おつきあいのほどを。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

二段組み700ページ近くに及ぶ、話題の大著、読了いたしました。

読み応え十分、格闘技ファンなら必読。
そうでない方でも一読に値する読み物です。

ご存知ない方のために説明すると、木村政彦という人は、
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた、史上最強の柔道家です。

最強の柔道家ではあったのですが、さまざまな事情で当時は混沌としていた柔道界を去り、
プロレスに転身した人です。

生涯負けたことのなかったはずの木村政彦だったのですが、
転身してプロレスにおいて、あらかじめ引き分けが決まっていた力道山との試合で、
ある拍子に力道山がキレて暴走し、木村政彦を血みどろのKOにした・・・
というエピソードは、梶原一騎原作の「空手バカ一代」でご存知の方も多いことでしょう。

ご存知のようにプロレスは八百長というより、ショーの世界であり、
また、「空手バカ一代」のストーリーの大半が、梶原一騎の創作というのは、
今や、ちょっと格闘技に詳しい人なら常識となっているわけですが、
この木村政彦 vs 力道山の顛末は、おおむねマンガの内容その通りなようです。

どうも格闘技の世界というのは、白黒勝ち負けがハッキリしているようで、
実は真実が何だったかわからない、百鬼夜行の世界なようで、
どの格闘家も自分の視点でものを言うことや、
木村政彦 vs 力道山の試合のように、あらかじめ筋書きがあったものを、
片方が裏切ってKOしたなど、後世になればなるほど、
その真実の判断が難しくなるものが少なくありません。

本書は、当時街頭テレビが人で道路を埋め尽くしたという、
「木村政彦 vs 力道山」の試合に焦点を合わせて、日本の柔道はもちろん、
空手やプロレスなどの真実を、なるべく浮き彫りにさせようと試みた名著です。

戦前は講道館柔道だけでなく、さまざまな分派があったのも驚きでしたし、
さまざまな格闘家に取材した上で裏をとって、資料を調べたりと、
大変な労力がこの分厚い本には注がれています。

それにしても格闘技の世界は大変な世界です。
常人の及ぶ世界ではありません。

ところで、剣道高段者である甚之介さんのブログには、
もともと殺し合いが目的である格闘技の中で、
神事である大相撲がどういう位置づけであるか、明確に書かれています。

(まあ、相撲も古事記によれば野見宿禰(のみのすくね)が、
 当麻蹴速(たいまのけはや)を蹴り殺すという殺し合いではあるのですが)。

先日の注文相撲、変わられて負ける方が悪い、という意見もあります。
本来の格闘家ならそれはそうで、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者・増田俊也氏は、
”引き分けの筋書きを破って、力道山が暴走したにせよ、KOされたのは木村政彦の油断だ”。

悲しいけど、「木村政彦は負けたのだ」と記されてます。

ただ、このことを誰より知っていたのは木村政彦本人であり、
また注文相撲で負けた力士も同様です。

格闘技として見れば、戦や町の暴漢など、あらゆるシチュエーションを想定しないといけませんが、
相撲は町のケンカでも、戦争でもないんですから。
負けは負けですが、相手はやっちゃいかんよな。

写真は昨年の夏に行った出雲大社のしめ縄です。
そろそろアートの話もいくつか書いていきたいとも思っています。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか” への6件のコメント

  1. 禁句を申し上げます
    約束を守るのと守らない、気質が引き金かも知れません。
    十把(じっぱ)一絡げではいけませんが、
    国に拠ってのアレかも知れません。

    >悲しいけど、「木村政彦は負けたのだ」と記されてます。

    >ただ、このことを誰より知っていたのは木村政彦本人であり、
    >また注文相撲で負けた力士も同様です。

    格闘技≒≠殺し合い???
    「木村政彦は負けたのだ」≠「死んだのだ」
    生きてれば考えられます。
    ミモフタモナク、突き詰めるか???
    よく分からないです(無責任)。

  2. Unknown
    僕もこの本を夢中で読みました。

    僕はプロレスファンで、力道山関係の本は何冊も読んでいるのに、この本を読んで、木村さんのことはなーんにも知らなかったんだなって驚きました。

    この本は、柔道の歴史、昭和の歴史、色んな視点が入っていて、とても興味深かったです。

    なんか懐かしくなりました。

  3. もともとは
    お頭さん、おはようございます!

    たしかに力道山は日本名の本名は百田 光浩(ももた みつひろ)ですが、
    今の北朝鮮出身で、朝鮮名は金信洛(キム・シルラク)というのは、
    最近ではよく知られた話ですね。

    半島出生という云々は別にして、素行や性格は、
    「誰ひとり良く言う者はいなかった」ということも、
    この本に書いてあります。

    >格闘技≒≠殺し合い???

    もともとは人を殺傷する目的に考えられたものですが、
    それ故、死と向き合うシミュレーションができるものと考えます。

    原点に帰って、そのことを考える必要はありますが、
    だからこそ、自分自身は正しくない方法で武術を用いてはいけないと思うのです。

    それゆえ武道は殺し合いではない。
    不正な手段で相手を倒してはいけない。
    しかしながら、自分が不正な手段で攻撃された時でも、
    一流ならば、それを防がないといけない。

    そのように考えますが、如何でしょうか。

  4. お前は猪木じゃなく、陰気と改名せい~!
    わらべさん、おはようございます!

    そうでした。
    わらべさんはプロレスファンでしたよね。

    力道山については、どの本を読んでも素顔を良く書いてるものはないのでは?
    刺殺された時でも、相手のヤクザがボコボコにされ、
    馬乗りになって殴る力道山に「殺される」と思って刃物を使ったとあります。
    多分本当でしょう。

    ウソばかり書いてある梶原一騎原作、
    「プロレスラースーパースター列伝」では、
    アントニオ猪木が靴べらで顔を殴られたとありますが、
    それが本当の話だったのは、逆にびっくりしました。

    私はあまりプロレスは詳しくありせん。
    色々教えてくださいませ。

  5. 生存本能
    >一流ならば、それを防がないといけない。

    矛盾は生存本能ですから、生来の殺人鬼は別にして、
    基本は殺し合いだったのでしょうね。
    それじゃ堪らんわい、と、
    それを武「道」と昇華させた人の智は、人たるものですか。
    本能を満足させるべく、いろいろ格闘技が在りますかね?

  6. 人が人たる所以
    お頭さん、おはようございます!

    >それを武「道」と昇華させた人の智は、人たるものですか。

    そうだと思います。

    人は防衛本能があると同時に、生来の殺人鬼でもない限り、
    獣身が満足されてる限り、
    人を殺めたり傷つけたりできない生き物だと思います。

    戦で息子と同じくらいの若武者を殺めて出家した熊谷直実のように、
    鎌倉時代や戦国時代の武士は、自らの殺人に心を痛めていた人が多かったといいます。

    自ら手を下しながら慰霊するというのも変な話ですが、
    それが人が人たる所以に違いありません。

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