「きれいごと」と教育現場


昨日、テレビをつけていたら「はだしのゲン」の作者、中沢啓治先生が出ていて、
平和式典には何度も招待されていながら、未だ出席したことはないと言ってました。
理由は「きれいごとの式典には出たくないとのこと」。

そういえば、8月6日の生放送では「ゲゲゲの女房」の時間帯がずらされましたが、
パン国連事務総長の挨拶のところで、ゲゲゲが放映されたので、
NHKに抗議の電話が殺到したそうです。
私などの感覚からすると、何を言うかわかってるようなものを、
そんなに見たいかな~なんて思うのですが、世間はそうでもないのですね。

中沢先生がおっしゃる「きれいごと」には、不謹慎ながら思わず納得ですが、
それは学校の式典の延長みたいなところがあるのだと思います。
ちょっと教育現場に似てるんだよな~。

現実社会とのギャップが大きいというのは、日本の教育の弱点だと思います。
あまり社会に出て役に立つようなことを学校って教えてくれません。
学校って、そういうもんだと言えば、それまでなんだけどさ。

画像は「発達障害者は発達する」。
「発達障害は治りますか?」(花風社刊)の初版が出てから、起こったことをマンガにしたものです。

「きれいごと」と教育現場” への2件のコメント

  1. 同業者にきくかぎり
    画伯、マンガのご紹介ありがとうございます。
    私は編集者で経営者ですが、編集者仲間にきいても経営者仲間にきいても学校で教えられた学問以外のことが役に立っているという話は出てきません。
    どっかに学校のいうとおりに出来上がっているギョーカイがあるんでしょうかね。
    うちらはいいんです。まだウソをウソと見抜けるので。
    見抜けない子とかは、社会適応が難しくなっちゃうんじゃないかな、と思っています。

  2. 校長は「社長」
    あ@花さん、おはようございます!

    いや~、おっしゃる通りです。
    以前、教員をしていた時に聞いた話ですが、職員旅行などに行くと、先生がたは決まって「今日はお互いを先生と呼び合うのを止めよう」というルールを作るそうです。

    で、何をするかというと、校長を「社長」と呼び、教頭は「専務」、教務主任は「部長」、学年主任の先生を「課長」と呼ぶのですが、経験豊富な仲居さんは一目で学校の先生だとわかるんだとか。

    そりゃそうだ。経験豊富な仲居さんではありませんが、たぶん、私も一目で学校の先生だとわかると思います。

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