昨日は実家にクリームシチューを届けに行きました。
”スープの冷めない距離”というほどでもありませんが、
自転車で行けば文字通りシチューは冷めない距離であります。
というのも、わが実家・・・写真のように現在工事中。
冬にそなえて床暖房にするのと、今まで対面式だったキッチンをとりはらい、
壁側にすべてシンクや棚が並ぶようにして、広く使おうという次第。当然、キッチンは使用不能です。
2回に小さなガス器具はあるけれど、味噌汁を温める程度で、大した料理はできないといった寸法です。
母のお弟子さんもケンチン汁を持ってきてくれたりと、
色々差し入れもあるようですが、ともかく鍋で温めるだけの料理がありがたいようです。
(電子レンジも据え付けタイプだったため使えない)。
建て替える前の赤坂の実家は、戦前に母方の祖父がタクシー会社を経営していた時、
景気の良い時期に別荘として建てたものだそうです。
(自宅は本郷の動坂周辺。親爺の葬式を行った道灌山もすぐ近くだったんだとか)。
当時は赤坂も今のような繁華街ではなく、下町に毛が生えた程度の町だったようです。
私が30歳近くまで住んでいた家は、その祖父が作った別荘・・・といえば聞こえは良いが、
今考えると典型的な欠陥住宅でした。
なんせ柱が曲がっていて、冬になるとフスマと柱の間からすきま風が吹く。
赤坂・一ツ木通り周辺というのは低地なので、
昔の実家は大雨が降ると雨もりはもちろん、玄関の靴や下駄が一斉に浮かんだものです。
風呂場などは地面とバリアフリーで、カマドウマやプラナイアなど、時々わけのわからない生き物が紛れこんでくる。
いちどはゴキブリホイホイに小さなアオダイショウが捕まっていたことがあったし、
玄関にスッポンがいたこともあった。近くのお寺の庭からやってくるんでしょうな。
料亭には売らず、弁慶橋のお堀に逃がしてあげました。
私は3歳の時からその家で育ってますから、何とも思わなかったけど、
母は三十路を過ぎてからその家で暮らすようになったから、あまり愛着がなかったようで、
「このボロ家! もういやだ~!」とよく怒っていたものです。
親爺は「女というのは不思議なものだな」といっこうに気にしてませんでしたがね。
(アンタの方が、よっぽど不思議だっちゅーの)。
そんな意味で、今の実家は母の念願として10数年前に建て替えた家でした。
腕の良い大工さんがほとんど一人で建てたおかげで、緩んだところがない。
工事中の対面式キッチンは、当時母の念願だったのですが、実際に使ってみると、意外と狭くて使い勝手が良くない。
17年も使ったから良いだろうと、今回の工事に踏み切ったようです。
ともかくも工事ははじまったばかり。
自分が暮らす家ではないけれど、出来上がりはちょっと楽しみです。
Unknown
えっ、えっ、べ、べっそう~!!??
初めて知りました。
夏に良くお邪魔したと思うのですが
不思議と様々な生き物と遭遇した記憶がありません。
私ら自身が「生き物」だったのかも…
キッチンの改造は、女性には嬉しいものです。
一日も早く、無事完成することを
お祈りしております。
たしかそうです
やはり都心ですから、
不思議な生き物は住んでいても、そうそう遭いません。
通称”便所コオロギ”のカマドウマは、
風呂に入ってる時にはいませんでした。
お湯をわかすと逃げるのか、昼間水を抜いた状態の時に
紛れこんでいたりしました。
なつかしいわが家ですが、
快適とは言えなかったような気がします。