昨日、音楽評論家の吉田秀和先生の逝去を知りました。
98歳ということで、思っていたよりご高齢だったのに驚きましたが、考えてみればそのくらいのお年になりましょうか。
はじめてわたしが吉田秀和という名を知ったのは、高校の時にイイノホールに「展覧会の絵」のピアノコンサートを聴きに行った時でした。
外国の男性ピアニスト(名前は忘れた)で、けっこう良かったなと思った翌日の朝日新聞に、
「こんな好感の持てる若いピアニストに、注文つけるのは気がひけるけど」と評論が載っていたので、「この人誰?」と父に聞いたのを覚えてます。
「そりゃ、お前。吉田秀和といえば有名な評論家のジイさんだ。お前ごときが聞くのとはワケが違う」
親爺はそのようにわたしに言ったのですが、その頃から逆算すると、当時で吉田先生は還暦半ば前後だったでしょうか。ずいぶん長いあいだ、アートの世界を見てらっしゃったのですね。
吉田先生は絵画にも造詣の深い人でしたが、音楽評論にもそのような表現がよく用いらえており、若いアシュケナージのピアノ演奏を「レンブラントの造型に、ルノアールの色彩が加わった音色」と評したのは印象的でした。
また、ラザール・ベルマンのリスト「超絶技巧練習曲」では、「難所を舌なめずりしながら弾いている」とか、同ピアニストのラフマニノフを「音が多い」(そのまんまですが)などといった表現を用いていました。
ソムリエはワインの味を言葉で表現すると言いますが、音楽も言葉に置き換える表現するのが難しい分野。
吉田秀和の評論は、そういった意味でわたしには音楽に対する見方を新たにしてくれました。
鎌倉駅でいちどお見かけした時に、気のせいかこちらに何度も目をやっていて(わたしが見たから見かえしたのでしょうが)、声をかけようかけようと思いながら、とうとうかけらずじまいだったのが、ちょっと後悔しています。
故人は真正の独立独歩の御仁で在られましたね。
さみしいなあ。
お頭さん、おはようございます!
今日の日経にチェリストの堤剛さんが追悼記事に書いてましたが、
「来日して拍手喝采を浴びた、老ホロヴィッツに”ひびの入った骨董品”という、歯に衣着せぬ評をした唯一の人」とありました。
でも吉田先生はハッキリ「ひびの入った骨董品」と言ったわけではなく、
「骨董だから価値あると感じる人には、いくら払ってもかまわない。でも骨董に興味ない人には価値を感じない。でも・・・骨董にしてもひびが入りすぎていたなあ」という、けっこうやさしい表現だったのですね。