ヒルマ・アフ・クリント展を見て(其の二)〜見えないものを描く世界に突入した絵画作品群。

先日見た、ヒルマ・アフ・クリント展の続きです。

水木しげる先生がご存命の時に「絵画は見えないものを描く世界に突入すべきだ」とおっしゃっていましたが、それからさらに100年も前にそれを実践していたアーチストがいたとは驚きです。

水木先生が言う「見えないもの」は妖怪を描いた具象絵画として花開いたわけですが、ヒルマ・アフ・クリントは、一見すると抽象画に見える作品として描かれました。

「一見すると」と申し上げたのは、彼女の作品は「一見すると抽象画に見える具象的絵画」だからです。

具象絵画というのは、わかりやすい例で言うと静物画や人物画、風景画のことで、ピカソの絵のようなものでも、それが一目見て人物だとわかるものは、この分野に入ります。パウル・クレーの作品もこちらに分類されるでしょう。

抽象画というのは、カンジンスキーやモンドリアンのように、記号や図形を組み合わせたような作品ですね。

ではヒルマ・アフ・クリントの絵は違うのかというと、なかなかジャンル分け出来ないところがあります。

でも、これらの絵を見て言えるのは、明らかに『降りてきた』ものを描いてますね。

それも『偶然、その時だけ降りてきた』ものではなく、いわば『別の世界と交信し、意図して降りてもらったもの』を描いている印象です。

考えてみれば、私たちの住んでいるこの世界も、実は膨大きわまりない素粒子で構成されています。人間はその一部を『五感』と呼ばれる、限られた器官で感じ取っているにすぎません。

犬は人間の感じ取れない臭いがわかりますし、鷹は人間の見られない遠くのものを見ることができます。私たちの感じる世界以外に、もっと別の存在がこの世にはいっぱいあるわけです。

赤外線や紫外線、放射線やFM波、重力波のように、物理学的に間違いなく存在しているのに、目に見えない、感じとれないものは無数にあります。

ところが、これが霊的なもの、オカルト的なものになると、多くの人はまったく別の扱いをするのが面白いところですね。一気にいかがわしくなる(笑)。

シュタイナー教育は日本でも実践しているところはありますが、やっぱり色物的な目で見る人は少なくありません。

余談になりますが、シュタイナーは色彩の位置付けを、ゲーテの『色彩論』をよりどころにしています。

ゲーテは自書で『色彩論』を大切にしているのですが、一方でニュートンの色彩論…スペクトラムの考えを大いに非難しています。
もちろん物理学的に言えば、ニュートンの方が正しいのですが、ゲーテのそれはまったく違う観点で色彩を捉えています。

たとえば『黒』という色は、ニュートン的にはあらゆる波長の色彩を吸収しているのですが、ゲーテ的には『闇を発している』という真逆の考え方をしています。

ヒルマ・アフ・クリントの絵も「黒」は闇を発しているように見えるのが興味ふかいところです。

機会があればまた続きを書こうと思います。

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