昨日は9.11から5年。そういえば、あの年はまだ横浜の綱島に住んでいたなと、月日の流れを実感する。
テロの被害に遭われた人たちにはお悔やみを申し上げるほかないが、それにしても合衆国政府の傲慢さと無反省さには、今さらながらだ。旅行する先々で(たまたまではあるが)、アメリカが起こした戦争の爪痕に驚くばかり。ドレスデンやベルリンでは空襲の凄まじさを実感し、広島、ベトナムでは言うに及ばずだ。
100歩譲って日本にすべて戦争責任があったとしても、ベトナム人に何の過があったというのだろう。9.11のテロで3000人の人が命を失ったのは痛ましいことだが、広島長崎は30万人。ベトナムにいたっては100万を超える戦死者と数1000万人ともいわれる負傷者を出した。
そもそもイラク戦争の開戦理由というのは、フセインが大量破壊兵器を持っていたという疑いによるもの。ないとわかってから問題をすりかえるのは、まさに「無理が通れば通りがひっこむ」という感じ。まあ、巨大なジャイアンみたいなもんだよね(個人的にアメリカ人自体は嫌いじゃないんだが)。
日本人やベトナム人は(善し悪しは別に)何でも水に流す徳があるが、イスラムの人は十字軍以来1000年の遺恨があるから、そうはいかない。まあ、ここまで来たらどちらも引っ込みはつかないだろうけど、それにしてもひどい泥仕合になったものである。
受け入れるまで
私の古い友だちは、間接的にテロの犠牲者です。
婚約者がツインタワーで働いていて、亡くなりました。友だちのキキは、彼にぞっこんで、周りのフォローがきかないくらいウツになって、結局自殺をしました。
私はクリスチャンでしたが、それ以来信仰をやめました。
その婚約者には会ったことがないけど。
はじめは自殺した友だちが許せなかったです。
なんで死ぬんだって。
そうやって責めたのは、彼女が突然いなくなって寂しかったからなのかも・・・。
今年は、彼女の写真を飾る気になりました。
死を受け入れるのに、5年かかったんだなという感じです。
え・・?
おはようございます、ちゅん平さん。
そうですか、そんな身近な人に犠牲者がいたのですね。それは間接的というより、ほとんど直接に犠牲者だと思います。心よりお悔やみ申し上げます。
私の古い友人に、突然蒸発した人間がいます。子供の頃、小児まひをわずらい体に障害のあった人ですが、努力家で、一緒に柔道をやり黒帯までとりました。
でも、何かよほど辛いことがあったのでしょう。8年ほど前に、突然行方知れずになってしまいました。
生きているのか、死んでしまったのかわかりませんが、いなくなった時はずいぶんショックだったものです。
人間一度生を受けた以上、天寿を全うしたいもの。自分は人にそういう思いをさせたくありません。
1回だから
人生は1回だけだから、悔いなく生きたいですね。
だから、私は失敗をしても、どこからでも人生やり直しがきくと信じています。
小暮さんのお知り合いが失踪されたときの気持ち、少しは分かるかもしれないです。
私は友だちが自殺したと知ったとき、話してくれたらよかったのに、とか、いくらでも相談にのってあげられたのにとか悔やみました。
でも、死を選んだのは彼女だし。
どうしようもなかったことなので、やるせなかったです。
私はまだ若いですが、人はいつ死ぬか分からないので(事故とか。最近多いですよね)、いつも一生懸命生活したいです
そうなんですが
たしかに彼が失踪した時、私も「一言相談してくれれば」と思ったものですが、そういう時の人の心理って違うんだと思います。
いなくなったあと、お父さんに彼の実家の部屋を見せてもらい、色々な書き散らしを見たのですが、私は「ああ、俺はこいつのこと、何もわかってなかったんだ」と慚愧の念を覚えたものです。
でも、残された親の苦痛などを考えると、やっぱりいなくなってはいけないと思いました。あれから良いことも悪いことも、いっぱいあったのだけど、やはり生きてないと人間がつまらない。最近、そう思いますね。