「エール 」国防婦人会の女性たちは、戦後何処に行ったのか?〜コロナ禍の同調圧力を考える。

名月や池をめぐりて夜もすがら

毎回、朝ドラは物語に先の大戦がかぶることが多く、いつもはそこに差し掛かると、反省を強要された気持ちになって見ないのですが、今回の「エール」は見ています。

いつもの朝ドラほど、戦時中の場面が陰気臭くないということもあるのですが、これからの物語が、モデルになった古関裕而先生と同様、インパール作戦に特別報道官として同行するからです。

私個人としては、「日本が悪かったから戦争がはじまった」とは思いませんが、死なないで済んだ若い命を散らしたことに関しては、「非」というほかはありません。

インパール作戦はそのうちのひとつですが、そのことに関しては別の機会に述べることにいたしましょう。

さて、ドラマの中で登場する国防婦人会…あるあるですね。

コロナ禍の現在、マスク警察とか自粛警察などという新語が次々に登場していますが、戦時中もそうだったんだろうなと想像にかたくありません。

戦時中、すでに大学生だった父ですが、その時のことを思い出し「戦争になると、ついこないだまで普通の肉屋だったおじさんやおばさんが、急に威張りだす。それが一番イヤだった」と言っておりました。

「肉屋」という具体的な言葉を、少年時代に私は何度も聞いていましたから、実際に浅草(父の地元)の肉屋さんに、“お国のため警察”のおじさんやおばさんがいたのでしょう。

父は昭和2年生まれですから、ギリギリ徴兵されなかった年代です。
父のお友達からは「軍隊に行ったら、いちばん目をつけられる」タイプだったと聞いてますから、浅草の肉屋さんにも目をつけられていたんでしょう。
父が亡くなるまで、浅草の話は一切聞いたことがないので、何かイヤな思いをして好きじゃなかったんだろうな。

学生時代の父は勉強ができて生意気だったそうですから、何か嫌がらせなどあったかもしれません。

あの国防婦人会を見て、そんなことを思い出した次第です。

では、戦争が終わってあの人たちは何処へ行ったかといえば、おそらくは「どんなことがあっても戦争はいけません」「憲法9条死守」をお題目にする人たちに宗旨替えをしたのでしょう。

もうひとつ、よく父は「戦争をさんざん煽った新聞社が、終わった途端反対のことを言い出した。教科書は黒塗りにしたりと、オレたちの世代はそんな不信感があるのだよ、マスオくん」と言っておりました。

今のコロナ禍は、いみじくもそんな様子を炙り出した形になったようです。

戦時中、軍部や政府の問題もあったでしょうけれど、同調圧力で加担した国民の非もありますね。

ただ、今は当時と違って、反対意見を述べて連れて行かれることはありません。
先の安倍政権、今の菅政権について「軍靴の足音が聞こえる。言論封殺のはじまりだ」なんて声もありますが、それはお隣の国に言ってほしいもの。

コロナ禍の同調圧力に対して「非」をとなえることは簡単にできるので、そうやって経済をまわしていきたいものであります。あ、コロナがこの先、まだ猛威を奮うと思っている方には強要できませんけどね(笑)。

それにしても「エール」のインパール作戦、見たいような見たくないような。

▼こちら松江の御当主だった松平不昧公が茶席で実際にお出しした「若草」です。

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