「星の王子さま」倉橋由美子訳を読了〜素晴らしかったけど、まるで違う話を読んでるみたいでした!

「7日間ブックカバーチャレンジ」の6日めに選んだ「星の王子さま」ですが、以前から内藤濯(ないとう・あろう)訳が、昔の翻訳であることに加え、横書きで読みにくかったので、作家の倉橋由美子訳を注文し読了しました。

結論の感想を言えば、倉橋訳の方がはるかに読みやすく、また文字組が縦書きだったこともあり、まるで違う話を読んでいる感じがしました。

それにしても「星の王子さま」は深い世界ですね。
子どもの頃に読めなかったわけもわかりました。

今、読み返しても、わからない部分が多いので、もう1種類くらいの翻訳を読んでみようかと思っています。

あとがきで倉橋由美子氏が書いているように、この物語は星の王子さまや「私」が成長していく、いわゆる童話ではありません。

以下、倉橋由美子のあとがきより。

王子さまはいくつかの星を訪れていろんな大人に出会うのですが、それによって自分を変えるとか、大人の間で生きていけるような強さを身につけて「成長する」といったことは一切ありません。王子はどこまでいっても純粋な「反大人」の子供のままです。 

ふむふむ。

いわゆる主人公が成長していく教養小説、ビルディングス・ロマンの類ではないということですね。加えて訳者は、童話のようなものではないとおっしゃっていますが、まさにその通りでしょう。

また以下訳者いわく。これは私は一部与しない意見ですが、実に興味深い。

そんなわけで、この小説は子供が書いたものでもなく、子供のためのものでもなく、四十歳を過ぎた男が書いた、大人のための小説です。これを読んで大量の涙が出てくるというのはちょっと変わった読み方で、それよりも、この小説は、大人が自分の中にいる子供の正体を診断するのに役に立ちそうです。この作品が広くかつ長く読まれてきた秘密の一つはそこにあるのではないかと思います。

二〇〇五年六月

原文に触れた人ならではの分析的な意見ですが、この小説を読んで「大量の涙が出てくる」とすれば、やはりわがままなバラの部分ではないでしょうか。

この作品全編に流れる寂寥感、寂しさの多くは、砂漠を飛行する間に培われたものであり、またわがままなバラのモデルとなった、テグジュペリの妻に対する愛や葛藤によるものでしょう。

驚いたことに、倉橋由美子氏はこの翻訳を終えた同年同月6月に他界しています。

この方の小説は存じ上げませんが、白鳥の歌が「星の王子さま」となったのは、何か偶然ではない不思議なものを感じました。

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