安部龍太郎「家康・自立編」読了しました!〜直木賞の「等伯」と大きく違う信長像に注目です。

安部龍太郎先生の「家康・自立編」、読了いたしました。

全5巻完結予定で、現在まだ2巻目「不惑編」が発売中ということで、こちらが記念すべき1巻目になります。いや、読み応えのある素晴らしい作品ですね!

安部龍太郎先生は図書館の司書をされていたそうで、司馬遼太郎のようなキレやノリのある文体とは違いますが、誠実に資料を読み込んだ厚みのある文章が魅力です。

歴史ものというのは、どうしても「小説家、見てきたようなウソを書き」となる傾向があり、司馬さんなどは、その最たる作家と言えると思います。坂本龍馬は大好きだけど、乃木希典はクソミソに書いたり、徳川家康をあからさまに悪く言ったりと、自分の好みをそのまま作品に反映させているところは、人によって評価が分かれるところですね。

安部龍太郎作品は、それに対して自分の好みよりも、なるべく史実に基づき、どう再現するかに腐心しています。もちろん史実は常に変わるものの、最新の情報を入れている点も素晴らしい。
まあ、もちろん人間なので好き嫌いはあるのでしょうけど(笑)。

安部龍太郎といえば「等伯」で直木賞を取った作家として有名ですが、その中に出てくる信長像というのは、まさに魔王信長というイメージで描かれていました。

それが「家康・自立編」では、「等伯」の信長像とは打って変わった、まさに天才信長としてのイメージです。

最初に読んだ「等伯」では、この人は信長がきらいなのではないか?…などと思ったものですが、「家康」における信長像を読むと、どうもそうではないようです。

どこが違うのかといえば、前者は長谷川等伯の視線から見た「信長像」であり、後者は徳川家康から見た「信長像」なのです。
面白いことに、「等伯」では 比叡山の焼き討ちの際に、等伯が前田玄以という僧であり武将だった男を救い出したエピソードが描かれています(等伯も元は武家の出身)。

ところが、「家康」においては比叡山焼き討ちについて、発掘調査の結果、実はなかったか、さほど大きな規模ではなかった可能性について書かれています。

比叡山発掘調査は、昭和31年から何度か行われていたので、安部龍太郎先生が知らずに「等伯」を書いたはずはなく、作品の流れの必要上、焼き討ちを描いたのでしょうね。

肝心の「家康」の中で描かれた、家康公については、後日また記事に致します。

 

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