あいちトリエンナーレ〜「表現の自由がせばまった」のなら、
最後まで展示されては如何ですか?
1週間前にこの記事を書いた直後に「表現の不自由展」はもちろん、あいちトリエンナーレまで中止になったみたいですね。びっくりしました。
みなが知るところの慰安婦像や昭和天皇のお写真を燃やす画像が展示されてあったとか。もちろん、写真を見るかぎりは、表現の自由といえばなんでも許されるわけじゃありません。私も言い知れぬ不快感を覚えました。
ただ、あれから私も考えを整理しましたけど、やっぱり一旦、アートと銘打って展示したものを引っ込めたらいかんと思います。
いくらクレームがあっても、いくら人からアートとは呼べないと罵倒されても、大上段に「表現の不自由展」と大風呂敷を広げているのですから。あんなもの展示したら言わるに決まってるのはわかるはずですから、出す方だってそれくらいの覚悟がないとねえ……。だから本当は最後まで展示させれば良かったのです。
すごすご引っ込めて、実に草野球のキャッチャーです。あ、ミットもないってね・・・なんて、ウフッ♪
まあ京都の一件があったので、実際には仕方なかっただろうけどねえ。
展示の結果、良し悪しを決めるのは、作った本人やアーチストでもなく、評論家や政治家でもありません。あくまで各々足を運んだギャラリーや世間が決めるのです。
とは言うものの、そもそもアートに関係ない人を総合監督にしたことが問題だなあ。
渦中の人は、芸術のイベントをやろうって気がまったくなかったようですからね。
それから中止の責任を、その権限のない河村市長の責任として印象操作する、大村知事の発言も実にお見苦しい。山一證券の元社長みたいに全部自分の責任だとお認めになれば、まだ潔いのにねえ。
どうせ晒しものになるなら、とことん晒しもので貫けばよろしかったでしょうが、 アートと呼ぶには、あまりにぶざまでみっともない一件でした。