西日本豪雨で思い出した赤坂の浸水

西日本の豪雨、あまりの被害の大きさに驚いています。お亡くなりになった方々のご冥福と、被災されてる方の無事と息災を再度願いお祈り申し上げます。

東京は先の大戦による空襲を人災とすれば、大きな自然災害は大正12年(1923年)の関東大震災から来てないそうで、現時点では日本はもちろん、世界で最も安全な都市と言えるかもしれません。

ところが今回の洪水でまたも思い出したのが、赤坂の実家であった浸水です。

昔の私の実家は、今でこそ赤坂は知名度の高い繁華街ですが、私が子供の頃はイチ地方都市、下町という面持ちでした。
特に実家のある一ツ木通り周辺というのは、青山近辺に大名屋敷が多かったの比べ、下級武士が多く住んでいたところだったらしく、「溜池」などという地名も、もとは溜池があって渡し船で向こう岸に渡っていたような場所でした。

そこに流れてきたのが現在の赤坂芸者であり、今とは様子の違う場所だったわけです。

今、駅名にもなっている溜池山王の近くにあった実家は、文字通り、当時は大雨がふるとけっこうな水かさになり、うちの玄関にあった下駄や靴がプカプカ浮かんできたものです。

私は子供だったので、その様子を見て「あ〜、下駄がプカプカ浮かんでる〜!」と喜んでいましたが、それを見て母がイヤな顔をしていたのが、今更になって思い出されます。

いつの間にか、上下水道が整ったのでしょう。私が中学に上がるくらいには、玄関に水が入ってくることはなくなり、もう何十年もそんなことがあったのを忘れていたのが、今回の豪雨で思い出しました。

それにしても建て替える前の赤坂の実家は、今考えると、ひどい欠陥住宅だったなあ。廊下でビー玉を転がすと、玄関の方に流れていったし、雨漏りもひどく、柱も曲がっていたから、冬は隙間風が寒かったです。
お風呂場にはカマドウマがいたし、ナメクジもいました。

雨漏りは、玄関の浸水同様、あるたび私は喜んでいましたけど、やはり母はカンカンになって「このボロ家は」と怒っておりました。生まれた時から住んでいたから、自分の家がボロとも何とも思ってなかったけど、今だったらどうなのでしょう。

今回の西日本豪雨に比べれば、そんなものは微々たるものに違いありませんが、もしかしたら運が良いだけで、大きな災害はいくらでも東京に近づいていたのかもしれません。

明日から関西に出かけますので、ブログは3日ほどお休み。もちろんボランティアなどではありませんが、西で少しお金を落としていくつもりです。

 

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