宮崎進(みやざき・しん)先生が逝去されました。

シベリア抑留の画家、宮崎進氏死去 多摩美術大学名誉教授

大学時代の恩師だった宮崎進先生が逝去されました。
御年96歳の大往生でしたが、個人的にはたいへん残念です。
もっとこの世にいてほしかったと思うのですが、なにか自分にとってはひとつの時代が終わった感じがします。

先ほどFacebookにリンクをUPしたところ、当時の同級生たちから、大学四年の時に鎌倉にある先生のアトリエを尋ねた話がコメントされてきました。

中二階まである広いアトリエに、200号以上の大作が所狭しと置いてあったのには、学生の誰もが圧倒されたのを覚えています。
20名ほどの学生が訪れたでしょうか。

お茶とケーキが出されたそうですが、わたしは覚えてなかったなあ。
ともかく、あのアトリエは学生たちの憧れでしたね。

シベリア抑留を経験された先生は、ほかの教授とは何か違うオーラが出ていたのを学生の誰もが感じていました。

当時の教授の中には、今の日大アメフトほどじゃないにせよ、威圧的な人も多かったのですが、宮崎先生はそれと真逆で、多少生意気なことを言っても「そうか、そうか、ほっほっほ」と微笑んでおりました。
それを、よく「宮崎笑い」と呼んで真似していた記憶があります。

今思うと、先生は裕福な時代に生まれた学生を”いい気なもんだ”とは思ってなかったように思えます。
良い時代に生まれたからこそ、それをムダにせず良い人生を送ってほしいとお考えになっていたのではないかな。

私が嬉しかったのは、28歳の時に教員生活を辞め(臨時採用職員ですが)、インドをフラフラしている時に、先生に出した手紙をお読みになって「小暮くんらしいね、ほっほっほ」とおっしゃっていたことです(直接、ご本人から聞いたわけでなく、秘書の方から伺った話ですが)。

今思えば、インド放浪なんて月並みな中二病みたいなことなのですが、たぶん先生は「好きなことができる時代で良かったね。あとは勝手におやんなさい」みたいな意味で、そうおっしゃっていたのでしょう。

ともかくも、宮崎進先生は絵描きの中の絵描きと呼ぶのにふさわしい、偉大な画家だったと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>