日馬富士のことで思い起こした9条のこと

昨日は柔道火曜会の早い忘年会、師範格の友達が12月の火曜はすべてふさがっているというので、一月早く繰り上げました。

品川港南口の天空という店で、しゃぶしゃぶの食べ放題・・別に食べ放題が嬉しい年齢じゃありませんが、海洋大学の柔道部学生の胃袋を満足させるための、先輩たちの親心だったようです。

長年、下手の横好きでやってる柔道。あまり進歩もせず、お酒を美味しく飲むために通ってるようなものですが、おかげさまというか、もう何十年も変な現場に居合わせたことはありません。

これは私が強いわけでも立派なわけでも何でもなく、ある種の危険探知センサーが働いているからのようです。イタリアでもたまたまですが、スリにもひったくりにも遭遇することはありませんでした。

柔道の護身術を学ぶ時によく言われるのは、無法な暴力に遭遇しそうな時は、「まず逃げろ」というです。

しかしながら、家族に禍が及んだ場合や、女性、お年寄り、子どもなど弱い立場の人が事件に巻き込まれていた場合は、その限りではない。 そのために護身術を以て相手を制圧するわけです。

そんなことを考えているうちに、昨日報道された日馬富士の暴行事件のモヤモヤが脳裏をめぐってきました。

そういった無法者が必ずしも自分より弱いわけではありません。

今回の日馬富士の暴行のように大相撲の横綱が暴れ出したら、いったい誰がどうやって止めるのかなあ。ちゅうか逃げるしかありませんよね。

居合わせた力士たちは逃げるわけにもいかず、白鵬関は止めたそうですが、突き飛ばされたとか。状況を考えると、居合わせた力士を止められなかったと責めるのも酷でしょう。事件を黙ってたのはダメだけどね。

横綱2人いて、ほかにも幕内力士がいて止められなかったのだから、この世にそれを素手で止められる人間なんて、まずいません。

でも、仮に拳銃を持っていれば、映画みたいに空砲一発で止められます。もちろん、わが国でそれをしたら銃刀法違反で、暴れた人と一緒に逮捕されますけど(笑)。

これは、アメリカ国内の銃規制の議論で、規制反対派の根本意見ですね。

さて無法な暴力に対して、それを制圧する力を「暴力」と呼ぶかどうか?
もちろん、一般的に言えばそれは暴力ではありません。

警察や自衛隊が相手を制圧するのは、暴力(vialence)ではなく、 フォース(force)であって、合法な力の行使です。専門家じゃないからわからないけど、それを区別する細かい規定があるはず。

民間人でも、女性がレイプ魔に熊除けの唐辛子スプレーをかけて撃退するのを、暴力とは言いません。

ただ、『美味しんぼ』原作の雁屋哲先生に言わせると、その前に書いたマンガ『野望の王国』で、「警察は日本最大の暴力組織なんだ! ヤクザなどいくら集めても赤子同然!」なんてセリフもあります。極左の雁屋先生だけど、あながちウソでもないんだなあ。

それはともかく、暴力は決してふるわないのがよろしい。一方で暴力をふるわれない環境にいるのがよろしい。 ただ、世の中にはどうしても避けられない時があって、その時は戦わないといけません。

そう言うときは、たいてい自分だけの問題じゃなく、家族や友人がからんでたりしますしね。

その時、武術をもって戦うのか、武器を持って戦うのか。あるいは、言葉やお金を用いて戦うのかは人それぞれですが、やっぱり暴力はいかんなあと思った次第です。

え? 9条の話はどうしたって。
いえ、もういいでしょう(笑)。 



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