勝つ事ばかり知りて、負くることを知らざれば害その身にいたる。

タイトルは徳川家康公の遺訓と言われている、水戸光圀公の言葉です。
あの「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の続きね♪
いつぞや、同じ遺訓で「いかりは敵と思え」 なんてことをブログに書いて、墓穴を掘ったことがありますが、こちらは先の都議選でちょっと思い出したことです。

都民ファーストの会、勝ち過ぎました。
上り過ぎると、あとは下るしかないものですが、それはさておき都知事選、百合子知事に入れた私ですが、築地移転問題も東京オリンピックも、1㎜も進めていない人の党派がここまで勝つとは、正直驚きました。

まあ、それほどに政治に対して見る目のない私なので、今回は別の話をいたしましょう。もちろん私自身は「勝つ事ばかりを知りて」というほどの大勝ちは、ほとんどしたことはありません。

ただ、一度だけ「叩きのめした」経験があります。もちろん町のケンカとか、小競り合いとか、そんな野蛮な話じゃありません
最初にインドを旅行した時に、お土産を買ったときのことだから大した話じゃないのですが、食器やら服やらをバランスボール大の大袋3つ分購入したという、けっこう大きな買い物でした。
日記を見たら、ちゃんと記録がありました(笑)。

若気の至りというか、「ぶすっとしていたので気持ち良かった(相手が)」とか、「90%わかるようになった」とか、いい気になって書いてるのがよくわかり、自分のことながら、恥ずかしいお話です(苦笑)。

インドに滞在して1ヶ月を過ぎた頃で、インド人にさんざん騙されてボラれたあとのこと、「インド人相手に容赦はいらん」と、インド人が怒るほどの値引きをさせて、いい気になっていたのですが、実家に送った荷物がそっくり消えていたのですから不思議な話です。

それもインドでかすめ取られたならいざ知らず、実家にキチンと届いたにも関わらず消えていたのですね。

実家は一度も泥棒に入られたことのない、いわば狙われにくい家にも関わらず、わたしの部屋に置いてあった3袋がごっそり消えていたわけで・・・まあ、ドロボー以外に考えられないのですが、ほかのものは何ひとつ盗まれていなかったのですね。

さらに、手荷物で持ってきたお土産も、父がゴミと間違えて捨ててしまい、結局五体満足で帰ってきたのと、日記長2冊だけが手元に残ったという顛末でした。

まあ、あの時勝ち過ぎたから報いが来たわけでは、まったくないでしょうけどねえ(笑)。何を書いてるのか、とりとめもなくなりましたが、思い出したことを書いたまでかな。
ただ、あの時のお土産は。なくなってかえって良かったのだと思います。どう良かったかはわかりませんけどね。

信玄公も「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」なんて言ってるそうですが、そんなことをぼんやり考えました。

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