連休最後の春分の日は、栗本啓司さんを講師に花風社コンディショニング講座が大森のエセナおおたで開かれました。
南は鹿児島や宮崎、北は岩手からも講座に訪れたお客さんも大勢いて、内容の濃い素晴らしい講座でした。
さて、講座の内容については、あ@花さんのブログを読んでいただくとして、本日は違う話をいたしましょう。
そう。講師の栗本さん・・・本職の施術とノウハウは素晴らしいんだけど、講座を終わって饗宴でのダメダメぶりは、いつもの平常運転でした。というか、いつも以上に花風社クラスタのお客さまに突っ込まれ、いじられておりました。
それというのも饗宴での話題のひとつだったのが、Facebookで話題になったあ@花さんの記事でした。
母はさすがに私の母なので、栗本さんにズバリきいたんだって。「何で結婚できないの?」そしたら金がないからとか言ったんだって。本当になにもわかってないねーと原が立った。女性をバカにしてるよね。本当の理由はそれだよ、バーカ。
この記事に関しては、女性客のみなさまから激しい突っ込みにあいまして、「だからダメなのよ」「間違った学習をしてる」「いつの時代の話?」とさんざんにいじられておりました。
だが、そこで栗本さんは激しく反論。本当は「金がないから結婚できない」とは具体的に言っておらず、そのセリフはあ@花ママさんの意訳だったというのです。
なるほどとは思いましたが、意訳ということは「でも、そういう意味のことは言ったんでしょ?」って聞いてみると、やっぱり金がないからって意味のことは言ったそうなんです。
あ〜あ、やっぱりダメだなあ。
ハッキリ言ってなくても、そういう発言したというのは、思ってることが口に出ちゃったということですね(笑)。
「どういう人がいいの?」「条件、なんかあるの?」なんて、激しい質問攻勢も受け手いて、それこそ栗本さんに対する、みなさまの”ほっとけない”状態は、それはそれは大変なものでありました。
そのせいかな。私がみなさまを撮影した饗宴の写真(非公開です)・・・栗本さん、あれだけいじられて満面の笑み!
笑みの理由は「ほっとけない」と女子たちにいじられたのが、モテモテ状態に似ていたからかもしれません。でも、栗本さん。それでは、本当のお嫁さんは来てくれませんよ〜(笑)。
さて、自分から言うのも何ですが、この日、栗本さんの嫁取り物語の次の次の次くらいにいじられたのが、わたしの嫁取り話です(詳しい内容は割愛)。
実は最近、私、嫁をもらいました。
というと「いたんじゃないか?」と思われる方も多いと思いますが、しばらく前にわかれたという話と、嫁をもらったという話が同時になってしまったわけで、何と申しますか・・。
あ@花さんのブログでは公開されていたことなので(私から公開してくださいとお願いしました)、花風社クラスタのみなさまからは、お酒やケーキなどをいただきまして、この場をかりて御礼を申しあげます♪
さすがにわかれた話ともらった話が同時というのは、あまり高らかに言うことではありません。でも前者を知らない人もいて、どこかの段階で公開した方が良いと思い、この機会に申し上げた次第です(というか、このことは、それとなく記事には折り込んではおりましたが)。
相手は初婚なので、式と披露宴、二次会のパーティは6月はじめにいたします(新婚旅行もします)。ともかくも、世の中捨てたものではありません。感謝の日々を送る今日この頃です。
みなさま、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
稀勢の里も11連勝! これもまた嬉しいですね♪
だーかーらー
「こんな私のところに来てくれる云々」が
栗本さんと同じくらい卑屈なんだって!
そのセリフが以前と同じだということが気になってます。
愛甲さんの本を読んで勉強したまへ。
四度目はないよ!
あ@花さん、おはようございます!
たしかにそーね。
世間でよく言うご挨拶ですが、たしかにホントはそう思ってないんで削りました。
言ってくれて、ありがとう♡
4度目? ねーよ!
一人で笑かしてもらいました。
やり取りの妙。
よく年代での特徴として、男は…と評されることがありますが、私はそういうコメントが全然わかりません。
年代でもなければ、性別でもなく、家族の文化だと思うのです。
ジェンダーの問題も、子育ての問題も、全ては人をどうとらえているかではないでしょうか。
人間、人、人生、生き方、育ち方…いろんな表現がありますが、人が人として生きるということが、画一的なり想像にあてはめられると、相当たくさんの人が不幸になると思うのです。
単にはめ込んでしまうからだけなのに。
ハマってないことに不安を感じない人は楽なんですけどね。
ハマってないと不安になる人がこんなに多いという現実。
確かに義務教育の目指している内容でなく、形にとらわれる人たちにとって、ハマるということが究極の安心なのでしょうね。
つまらない人間を増やさないために、隣人同士ができることって、何でしょうね。\(◎o◎)/!
「画一的な理想像」の変換間違いでした。\(◎o◎)/!
この場をお借りして栗林先生へ。
画伯は「こんな私のところに云々」というのは本気ではなかったようです。つまり、決まり文句ですね。決まり文句で世渡りする人は友だち作れるけど二者関係ではつまんないんですな。相手の主体性を軽んじることになるからね。画伯の奥様は主体性をもって画伯との結婚を選んだわけですので。私ならこの決まり文句だけで別れます。愛甲さんも同意だそうです。私のブログでそれ言ったのに全然わかってなかったみたいなんでここで乗り出して来て、まあ本気ではないようなので安心しましたわ。だったら人はなぜ決まり文句を使うのか。それは私には永遠の謎です。
KURIBAYASHI@虹の子さん、おはようございます!
ウケていただいたようで、ありがとうございます。
最近は花風社講座でもダジャレに反応がなく、さびしいなと思ってたところでしたので。
人は・・特に日本人は同じだと安心する国民性があるようで、それがプラスになることもありますが、考えを固定化してしまうデメリットもあるようですね。
あ@花さん、おはようございます!
>決まり文句で世渡りする人は友だち作れるけど二者関係ではつまんない>んですな。相手の主体性を軽んじることになるからね。
うううう!
「私は違う」ということを、言葉でなく行動で見せないといかんようですな。
また、お越しくださいませ。