広島・平和記念館&大和ミュージアムに思う

20数年ぶりに広島に行き、平和記念館を訪れる。
60年も前に作られた兵器が、ここまで凄まじい破壊力だったことに、あらためて脅威を覚える。その後の核兵器の中には、半減期が1万5千年なんてものがあるそうで、本当に洒落にならない。館内には外国人の姿も多く見かけ、みな神妙な顔で溶けた瓦や、人間の影だけが写った石畳に見入っていた。
ただ平和記念館も、私が見た頃とは様変わりしており、展示内容も大幅に変わったのだが、何となく展示内容が以前よりマイルドになった気がした。こちらの年のせいかとも思ったが、わりあい最近、長崎の平和記念館を見た嫁も同じ感想を述べており、気のせいでもなかったようだ。被爆者が描いた絵が、ひとつも展示されておらず、みなコピーか印刷であったのが、その一番の理由で、保存上の問題もあるのだろうが、マイルドにして意味のあるものでないのだから、やはりここではあの恐ろしい原画を見せるべきだと思ってしまった。
ただ平和記念館には無料で入れる追悼館というものが、新たにできており(そんなに新しくないのかもしれないが)、そちらの原爆被害者の遺影には涙をさそうものがあった。
合わせてではないが、呉にできた大和ミュージアムも見に行く。そちらは、平和記念館とは違った意図で作られた博物館だが、どういうわけか同じ悲しみがある。これは、死なないでも良かった人の命が、理不尽な理由で失われたものによるものだろう。知覧の記念館も同様。
人によると広島の平和記念館と、大和ミュージアムや知覧の記念館を一緒にするなという方もいるだろうが、誰も死にたかったわけじゃなし。その悲しみは、どれも胸を打つものがある。
ただ、原爆のエネルギーはあまりに非情で膨大だ。中心の温度が数万度、地表の温度が4千度あまりに達する力に、人間などは消し飛んでしまい、幽霊すら残らないほどだ。広島の友人の話では、爆心地周辺では祭りや伝統芸能などがまるで残っておらず、それも原爆と共に吹き飛んでしまったんだとか。
悲しみや怒りも残らない爆心地の非情なエネルギー。
金持ちが危険なペットをこぞって持ちたがるように、ちょっとした大国は核を持ちたがるが、核兵器は危険度のレベルがあまりに違う。以前、インドに行った時、核保有の議論を巷のインド人としたことがあるが、原爆を落されるとどうなるのか、彼らはまったく知らなかった。アメリカと違って、インドでは教科書でヒロシマ&ナガサキを教えるそうだが、そこまでは手がまわらないようだ。
まず彼らの頭には、パキスタンに対抗するのに核が不可欠、というのが最優先で、使ったらどうなるは知らないらしい。
知らないことがいかに恐ろしいか、という良い例である。

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