先日、友だちと食事をしていたところ、「巷では ”Facebookウツ” なるものがある」という話になりました。
個人のブログもそうですが、Facebookは特に生活の良い面しか出さないところがありますから、そうなんでしょう。人が美味しいもの食べたり、旅行で良い思いをして、「いいな」と思う心情は、まあ人間として自然なものですが、それが大きくなってウツに転じるのかもしれません。
父はよく「人が聞きたい話は、自分が話したくない話。人が聞きたくない話は、自分が話したい話」と言ってましたが、まさしくFacebookウツなるものは、これかもしれません。
ヨガではねたみや後悔は過去からやってきて、不安は未来からやってくる。なんて言うそうですが、あのポーズや瞑想は、そこから現在に心と体を現在に集約させる効果があるそうです。
しかしながら、こういうネガティブな感情は作品づくりにとっては美味しいごちそうです。母の和歌の師匠、村松和夫先生が「和歌は楽しかったこと、嬉しかったことを詠んではならず」と常日頃おっしゃっていました。
まあ、和歌に何を詠んではいけないなんてルールはありませんが、人の心を打つのは他人が楽しかったことより、悲しみや苦しみなどの詠嘆でありますから。
ただ、モノに満たされて暮らしやすさを求められる現代。詠嘆は必ずしも、人に受け入れられるかというと、そういうわけでもありません。
↑ わたしの入魂の作「インドのアチャールくん」も、シンプルなカバー絵に反してどちらかというと底辺を這いずりまわる話なので、人によると読んでいて苦しくなるそうです。描いてる本人は至って気持ち良く描いているんですがねえ(苦笑)。
Facebookでご飯の写真をいっぱいUPしてる私が言うのも何ですが、今後はそんな詠嘆を描いたものを作れたら良いかなと思います。
来月のイベントには間に合わないかなあ。
見たいという方がいたら、おっしゃってください。買えとは言いませんが、努力してみます(笑)
詠嘆不要です。
寿司の写真見たら美味しそう、私も食べに行こうかな、と思うだけ。
Facebookでうざいのはやたら癒したがる人たち。
以上。
個人の意見です。
あ@花さん、おはようございます!
>詠嘆不要です。
なんだ、描いてってコメントがあると思ったら不要ですか(笑)。
まあ、わたしも詠嘆するのが得意というわけではありません。
実際には、ユングの部屋みたいなダークサイドを描いてみようかと考えてます。