先日、母の入院でガン疑いがシロと出て安心したという記事を書きましたが、八十を過ぎてくると入院は検査など含めて、そう珍しいことではありません。
母は入院でイヤがることが2つああります。
ひとつは不自由な生活で、入院した以上は医師や看護師の言うことは、ある意味絶対でして、かなり自由のない生活を強いられます。
人間にとって「自由」が何より大切なものだと実感できる機会が入院だと、母は申しておりました。
もうひとつが意外かもしれませんが「同情の言葉」です。
同情の言葉をかける方は心配して言ってるのでしょうけど、これがけっこうウザいのですよ。どういう風にウザいのかというと・・・
「大変ですよね〜、大変ですよね〜!」
「辛いですよね〜、辛いですよね〜!」
ううむ。
こんな言葉を、顔をしかめて言われてご覧なさい。
治るもんも治らない…ちゅうか、自分がそこまで悪いのかと考えてしまうというわけで・・・。もっと意地悪な言い方をすると、人の不幸を喜んでいるように感じられてしまうというわけです。
最近は母のお弟子さん周辺などは、そのあたりがよくわかってきたようで、母が入院しても静観してる感じではあるようです。話がパーッと広まって電話や連絡が一斉にやってくるというのは、ある意味ありがた迷惑なところがあるもの。
わたしの友人に、以前脳梗塞で入院した者がいたのですが、見舞いにやってきて「同情の言葉を、あからさまに言われるのが一番腹立つ」と言ってました。
人が心配してるのにハラが立つとはけしからん、かもしれないけど、「大変よね〜、大変よね〜!」「辛いよね〜、辛いよね〜!」 なんて言われたら、良い気持ちはしないもの。
同情はひとつ間違えると、人を見下しているのと同じこと。ただ、うちの母の母、つまりわたしの母方の祖母は、同情の言葉をかけられるのが大好きでしたから、どうもその辺のさじ加減は難しいようです。
まあ、お釈迦さまの言葉ではありませんが、人を見て法を説けということでしょうか。
おはようございます。
体験談としては、患者がへらへらしてるのが好いのかな???
本当に苦しくて辛かったらそれは出来ないのですが、
勿論患者の人格プライドで、そんな馬鹿な真似はしない、も有りです、
愚生はいつものようにへらへらしてたら、
妹たちに叱られてしまいました、「心配してるのに」、と。
なるほど、難しいなあ。
面会謝絶か???
お頭さん、おはようございます!
私の立場で言うと、今のところ生涯で入院したのは2回あります。
1回めはまだ5歳の時、猩紅熱で品川の荏原病院に入院。今だったら入院の必要はない病気で、ちっとも苦しくないのに病院に入れられ往生しました。まだ小さかったので、家族の見舞いはすごく嬉しかったのを覚えています。
2回めは33歳の時に、梅酒の瓶を割って足の甲の筋を切り、2週間入院。
外科の入院は明るいものでしたが、内科や皮膚科と入院の質が違うのを実感したものです。
3回目はいつになるか。先日、保険を見直して先進治療を入れました。
2000円ほどの値上がりですが、母が陽子線で治ったのを見て、入る気になったものです。