軍師官兵衛〜村重の子は浮世絵の開祖!?

ユニクロ銀座店から眺めた松坂屋跡です

大河ドラマ「軍師官兵衛」、視聴率は今ひとつなようですが、面白いので毎週見ています(歴史なので今後の結末は決まっていますが、以下はネタバレになるのでご注意を)。

先週は3週連続で土牢に幽閉されていた(1年間の幽閉)官兵衛が、ようやく救出されるところ。年とともに涙腺がゆるくなってきたせいか、目頭に何やら熱いものが・・・。

官兵衛を幽閉した荒木村重はドラマを見ての通り、籠城の際、一緒だった妻子を置いて城の外に逃げ出した人です。
大河ドラマでは田中哲司さんが、剛胆さと小心さを合わせ持つ村重の複雑な性格を公演していますが、 あの乳母にあずけられた赤子が、のちに浮世絵の開祖となった岩佐又兵衛だというのです。

妻子を置いて、城主が篭城していた城を捨てる。
ドラマのように妻子を救いに行く気があったにせよ、どんな理由があっても、これは武士にあるまじき・・・というより、リーダーとしても人としてもあるまじき行為です。

ただ、その人のやったことが正しいか、そうでないかは別にして、 それとは無関係に歴史は進みます。

又兵衛は洛中洛外図などで知ら、風俗画などで浮世絵の開祖と目される絵師です。
浮世絵の開祖というのは諸説紛々ですが、初期の浮世絵に大きな影響を与えた人には間違いありません。

村重が赤ん坊を捨てることがなければ、又兵衛は武士として育ったわけで、現在の歌麿や北斎もなかったかもしれないわけです。

歴史に「もし」はありませんが、なにやら歴史の面白さを感じるばかりです。

ネタバレになりますが、村重は信長の追ってを振り切り、逃げ延びていく間に信長は光秀に倒されると、境に移り住み茶人となります。

そんな遺伝子が岩佐又兵衛に引き継がれたのかもしれません。

村重は妻子を捨てたことを恥じていたようで、荒木道糞と自らの名をあらためたとか。村重を許した秀吉が「道薫」に改めさせたということです。

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