北杜夫さん死去。
どくとるマンボウシリーズ、よく読みましたが、実はあまり覚えてません。
夢中で読んだはずなんだけどな。
「どくとるマンボウ航海記」
読んでるはずなのに、それがマグロ調査船に乗った時の話だった・・・
なんてこともニュースで再認識したくらいです。
どくとるマンボウシリーズを読んだのが、中高生の頃でしたから、そんなものかもしれません。
しかしながらマグロ調査船の中、
ありあまる時間の中で、トーマス・マンの「魔の山」を読んだという記述があって、
そのことは、若い頃にマンの作品を読みふけるきっかけになりました。
そんな意味で、北杜夫さんは読書のきっかけを作ってくれた作家でしたが、
今でも覚えている作品は、「船乗りクプクプの冒険」という子供向けの作品くらいかな。
(なにしろ中学生の時に読んだもので、記憶が定かでないのですが)。
主人公のクプクプ一行が土人の部落に迷い込んだ時。
(ドジンは差別用語ですが、土人との記載があったと記憶)。
読者の私は、クプクプが土人の部落を成敗するもんだと、
ワクワクしながらページをめくっていったところ、
あにはからぬや、実は土人の方が文明度が高く、反対にクプクプ一行は、腕も知能も歯が立たず、
土人たちに「見た目でわれわれをバカにするな」と一喝され、大いに失望したものです。
このパターンの話は、たしかドラえもんにもあって、
スネ夫だかのび太が、原始人の集落に入って文明の利器を自慢しようとするのですが、
どれもことごとく使えない。
マッチを擦って火を起そうとしても、湿っていて火がつかない。
「あんな細い棒で火を起そうなんて、何てバカなやつだ」と言われてしまう。
帝国主義の時代なら、土人や原始人は文明人に成敗されて当然の描かれ方をするのでしょう。
昔の西部劇でもインディアン(今はネイティブ・アメリカンか。ああ、ややこし)が悪役でした。
子供はそちらの方が喜ぶものですが、北杜夫や藤子不二雄はその道を選ばなかったのですね。
北杜夫さんは、大学時代の恩師だった奥野健夫先生のパーティーでお見かけしたことがあります。
気のせいかもしれませんが、何やらこちらの方をじっと見ていらしたので、
よほど声をかけようと思いながらできませんでした。
写真のまんまの方でしたが、あの時、思い切って声をかけてれば良かったかな。
(あの時、どくとるマンボウシリーズの話をしようと思ってたのですが・・・
ということは、作品の記憶があったということか)。
楡家の人々、途中で挫折しましたが、この機に読んでみようかな。
私が冥福をお祈りするより、ひとつでも作品を読んだ方が喜ばれるだろうしね。
写真はダジャレ商品「惚レタス」の包装ラップ。
中身がないのが残念ですが、
赤坂のトルコ料理店アセナでは、いつも使われてるレタスがこのブランドだそうです。
いや、このセンス、きらいじゃないな。
これには惚レタス・・なんて、ウフッ♪
(ダジャレは前頭葉の萎縮だというけど、北杜夫作品の記憶が定かでないということは、もしや・・・)。
思い出した
そう 藤子さんか藤雄さんの
キテレツ大百科
キテレツご一行が江戸時代に飛んで
現代の文明利器で一儲けしよう!みたいな話があったんだけど、忘れられなかったエピソード
ブタゴリラが自慢の野菜を(彼の実家は八百屋なのです)
江戸時代の人に食べさせたら
みんな、「不味いな~ 痩せた味がする」ミタイナことを言われ見向きもされない
自分が持ってきた野菜の味を馬鹿にされたブタゴリラ
江戸時代の野菜を食べておいしくて呆然
そして現代に戻ったブタゴリラは江戸時代に食べた野菜より
おいしい野菜を作る! と決意する
(現にその時、現代の野菜は栄養価が下がってきていると注目され始めた時期でした)
っていうのがあったな~
・・・・あれ?
自分たちが持っている文明は、そうでもない っていう話ですよね
結局わたしが書くと食べ物のコメントになっちゃう(^-^;;;
けっきょく食べ物
二夜さん、おはようございます!
おお、基本ドラえもんと同じ話ですが、
その時代に野菜の旨い不味いを書いてるのが凄いですね~。
文明や技術というのは不思議なもので、
その時の最先端というのは、二度とできないものが多いのです。
たとえば法隆寺に使われた錆びない釘(鉄は純度が100%近いと錆びない)は、
今の技術ではできないそうです。
ノコギリのない時代だったので、木はカンナで削りましたが、
手間がかかった代わりに、表面はツルツルになり、
1000年経っても大丈夫。
この技術は今できません。
それにしても肥たごを売って育てた野菜。
きっと豊かな味がしたんだろうな。
って、私も食べ物の話ですね~♪
北杜夫 - 夢を呉れたその交友関係
北杜夫の訃報に接した。大学を出たあと、昭和30~40年代に始まり近年まで親しん