帚木蓬生の「国銅」~塩麹と源氏物語


帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の「国銅(こくどう)」、昨日読了しました。
〆切前に読む価値のある、素晴らしい本でした。

実はわたくし、この人の作品を読むのははじめてです。
帚木蓬生といえば、「逃亡」とか「臓器農場」といった社会派の作品で知られますが、
「大仏建立の話だから読んでみたら?」と、あ@花さんにすすめられてポチったものです。

帚木蓬生というペンネームを見てもわかるように、源氏物語の巻名を名前に冠しています。
「帚木」に登場するのは空蝉、「蓬生(よもぎふ)」は天下の醜女、末摘花という、
どちらも地味な女性が描かれた、飾り気のない巻であるところも、
この人のスタンスが想像されます。

「国銅」は奈良の大仏建立を、市井の人足「国人」という架空の人物の視線から描いた作品です。
大仏建立という大事業のために、全国から集められた人足たちの過酷な日々が描かれているのですが、
苛烈な日常の合間に、食べる喜び、文字を知る喜びなどがあって、不思議な感動を覚えます。

また丹念な薬草の描写は、本業が精神科医でもある筆者のなせる技でしょうが、
そこには仏教的死生観が随所に見られ、
登場人物たちが、ごくごく簡単に死に至っていく様子が淡々と描かれています。

そこに悲しみがあり、この人独自の暖かい視線があります。

作品の本筋、本質とは関係ありませんが(そこは深くて、とても書けませんので)、
注目したいのが、奈良時代へとタイムスリップする感覚です。

読んでいて、突然奈良時代の平原や山々が眼前にわき起こる感覚は、
千年前の宇治の落ち葉が眼前にあらわれる、源氏物語と同じ感覚であり、
作者にこれら古典の素養があることを伺わせます。

こうしたタイムスリップする感覚は、古典の原文でないと味わえないものですが、
それが同じ映像で目の前にあらわれるのは不思議です。

余談ながら映像といえば、先に拙ブログで書きましたが、平安時代に書かれた「日本三代実録」には、
東日本大震災の地震と同周期と言われる貞観大地震がありました。
たった3行の文章ながら、ここには如何にその時恐ろしいことが起ったかが、まざまざと描かれています。

古典の一次資料というのはタイムカプセルみたいなもので、
そこには時代のあらゆる要素が凝縮されているのですね。

帚木蓬生さんは、そういった資料をもとに大仏建立当時の様子を掘り起こしたのでしょう。

おそらくはそれら古典に記されていたものが作品の中に組み入れられていて、
それがそのままタイムスリップする感覚を呼び起こさせるのでしょう。

薬草の描写とともに当時の食事やお酒の描写もまた、そんな要素のひとつです。

醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ 我れにな見えそ水葱の羹

(ひしほすにひるつきかててたいねがふ われになみえそなぎのあつもの
 大意ー鯛に蒜を醤で食べたいなあ、ネギのアツモノなんていらないから)。

↑ こちらは万葉集にもある、どうってことない歌ですが、
最近、流行っている塩麹という調味料が、ここに出てくるのが興味深いところですね。

今度はもう少し練り上げて、この本の本筋・・・
大仏建立の手順や鉱物の採鉱、仏教的死生観などについて書いてみますが、
ともあれ、ご興味ある方は一読をオススメします。

地味ですが、遠い将来には歴史に残る古典文学になるかもしれません。
それほどの作品だと感じました。

写真は東京駅の東京ステーションホテル。
もうすぐ完成ですね。

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