昨日、広島在住の方からコメントをいただいてびっくりしたのですが、
広島では「あやまちは繰り返しませぬから」の意味を
「日本人が戦争という過ちを犯してしまったから、原爆を落とされた」と、
ホントに教育されていたのですね。
これは殴られた本人に「私が悪かった」と言わせるようなものです。
レバノンでは「唾を吐かれても、”雨が降ってきた”と答える」
という諺があるそうですが、自覚がない分、さらに困りものです。
何の罪も落ち度のなく原爆で苦しんでいる広島市民に、
”自分たちが悪かった”と思わせる教育をするなんて、どう考えてもおかしいと思います。
それは「戦争のすべての原因は、戦争をはじめてしまった日本人にある」
ということが、金科玉条となって変えられないということですね。
「何てバカな戦争をしてしまったんだ」と、自国を責める気持ちは仕方ないにせよ、
実際に原爆を落としたアメリカの責を問わない、と言うのは如何なものでしょう。
(相手が非を認めるはずはありませんが、言い続けることは必要だと)。
話は飛躍しますが、過剰に生徒側に有利な教育現場、
指1本手を出すこと、怒ることも控えないといけない教育現場には、
こうした一連の流れがあると思います。
かの「ゆとり教育」も同じ流れにある。
米国も日本人を骨抜きにするため、教育システムに手を入れたのでしょうが、
あちらも、今の日本の状態を見て、
あまりに薬が効きすぎたと思っているのではないでしょうか。
画像は拙作「ヘヴィメタ・ガネーシャ」。
お前らなんて、ひとまとめにロックで吹き飛ばしてやるぞ!
なんてね。
残念・・・
アメリカが原爆投下を謝罪することはないでしょうね。謝罪してしまったら「いざとなったら核爆弾を落とせるんだぞ!」という核保有国の威嚇自体が成立しなくなってしまいます。広島には自己責任を押し付けておきながら、アメリカは、自分たちが将来もしかしたら核兵器を使うときの言い訳ために謝罪しないとしか思えません。
怒りは何処へ
10年以上は前だったと思います。広島の女子大生がハワイの子供達と交流し、広島の事を伝えたい、という内容のローカル番組がありました。
そして 実際に学校を訪問し、原爆について伝えている途中、ある男の子が「日本も、酷いことをしたじゃないか!」と顔を真っ赤にし、涙を流しながら怒りを訴えていました。彼はパールハーバについて祖父から聞いていたようです。
その 激しい様子に女子大生は言葉を失い、その時は話をそれ以上続けることが出来ませんでした。
純粋に伝えたいと思った彼女と伝えられるその少年が、出発点が既に違うんだなと あの時も思いました。
実際 被爆者さんと接する機会は幾度となくあります。けれど アメリカに向かって、怒りをあらわにした人に遭ったことはないのです。
あの少年のように言いたけれど言えなかったのでしょうか。言う機会を与えて貰えなかったのでしょうか、たまたま私が聞いてないだけなのか・・・。
「はだしのゲン」今は読む機会がなく、かすかにしか記憶がないのですが、漫画中にリアルに表現されていた怒りは、 被爆者の皆さん、遺族の皆さんにあって当たり前なんですよね。
そして 私達にも・・・。
長崎に最初に行った時にも
仕事で長崎にはご縁があり、何度も行きましたが
最初のころはアメリカの特別支援教育に関する憧れ(脳内で理想化したもの)にびっくりしたものです。
長崎も素晴らしい実践をしていたのに。
まあよその国を脳内で理想化するのは左巻きな福祉・教育業界の悪癖ではあるのですが
「どうしてこの長崎で? あれほどのことをアメリカにされたのに?」と不思議になったもんであります。
あといつも不思議に思っていたのが
同じ壊滅的な被害を受けながら、沖縄の人と広島・長崎の人の中央に対する不満感みたいなものがすごく違うことです。
沖縄が地理的・歴史的に置かれた位置にその原因があるかと思っていましたが
戦後教育の結果でもありそうですね。
そしてどっちも支配していたのはアメリカ?!
戦後の反日教育については、拙ブログでも終戦記念日に触れます。どうぞその節はお越しくださいませ。
いざ核を使うとすると
nanaさん、おはようございます!
なるほど、アメリカが謝罪しないというのは、そういう理由もありそうですね。
それにしても広島に自己責任を押し付けるか・・・。
言いかえればそういうことですね。
真珠湾もそうですが、卑怯と言うヤツの方が卑怯というわけで。
それにしても、いざ核を使うとするとどの辺りでしょう。
やっぱり「24」にも出てくる中東あたりの(以下略)。
どこまでお人好しなんだか・・・
それはおかしな教育ですね。問題ありだと思います。たとえそうだとしてもそれを内向きに発信するのではなく、外向きに(諸外国に戦争をするとこうなる)発信すべきだと思います。
はだしのゲン
いっちゃん、おはようございます!
ウーム。
その番組、私は見ていませんので何とも言えませんが、その番組の主旨は何なのだろう。つまり、アメリカ人は広島のことなど知らないことを言いたいのかな・・・。
本当は広島や長崎の人が、米国に対して怒りをあらわにして良いはずなのに、それを日本人がしないというのは、外国の人から見ると不思議なはずです。
さらに言うと、外国人はそれを潔しとは感じず、なんで戦わないんだと思うはず。
はだしのゲンは、最近私は読み返しました。
若い頃は、どちらかというと嫌いな方に入るマンガでしたが、やっぱりすごいなと思った次第です。
終戦記念日には伺います
あ@花さん、おはようございます!
そうそう。
なんか広島・長崎と沖縄では、戦争に対するアプローチが違いますね。
ちょっとそれを聞いて、台湾の日本統治と大陸統治を思いだしました(かなり違いはあるけど)。
有名な言葉で「犬が去って豚が来た」というやつですが、米国の日本統治は彼らにとって成功したというわけですね。
それをイラクやアフガンでやろうっていうのが、彼らの単純なところかもしれませんが。
世界標準は「人のせい」
naotさん、おはようございます!
おやおや、コメント書いてる時に重なってしまったようですね。
いわゆるハッピーアイスクリームというやつかな。
そうですね。どう考えてもこの自虐的な教育はヘンだと思います。先ほども書いたように、それを受け入れるのは日本人の潔さでもありますが、そんな感覚を持っている国なんて、そうそうありません。
世界標準は「人のせい」です。
世界基準は「人のせい」
「お人よし」は日本では長所になりますが、海外では「優柔不断」と解釈されnegativeな意味です。
「沈黙は金」も嘘ですね。日本だけでしょう。外国人から見れば「何も言わない人は、何も意見を持ってない人」と解釈されます。浮気の後なら使えるかもしれませんが(笑)。
そもそも下駄のようなステーキを食べてる外国人にはかないません。私は激怒してる外国人に「肉ばっかり食べてるからカッカしてるんだよ。野菜も食え、野菜も!」と言います。「肉食 vs. 草食」みたいな。勝てる技は「猫だまし」ぐらいでしょうか。
世界基準は「人のせい」。いいですね。仕事でもいますよ。こういう人。「貴方の基準は人のせいですね?」と言ったら図星(lucky guess)過ぎて面白いかも・・・・ふふふっ(笑)。unlucky guessだったりして。。。
関羽雲長
naotさん、おはようございます!
世界基準は「人のせい」だと思いますが、それをわからないようにやらないとダメですね。
面白いことに、お隣中国があれだけ権謀実数に長けていながら、民衆から尊敬されて人気がある人物に三国志の関羽雲長がいます。
関羽は劉備玄徳の臣下であり、玄徳でさえ実際には皇帝になれなかったのに(名乗りはしましたが)、「関帝」と呼ばれ、世界中の華僑に商売の神様として祀られています。
義理に厚く、決して人を裏切ることのなかった関羽が、だからこそ生き馬の目を抜く、華僑のビジネスの神様になっている。
したたかさは大切ですが、あまり「人のせい」は中国でも世界でも尊敬はされませんよね。
kiasu
シンガポールには現地語で「kiasu」という言葉があります。福建語で「scared to lose」、「afraid to lose」とか英訳され、日本語では「損をしたくない」、「負けず嫌い」といった意味です。シンガポールの人々は小さいころからこの「kiasu」の精神を家庭や学校教育で叩き込まれるわけです。その為なら手段を選ばず。自分の感情が一番で相手の事は考えませんから、そのあたりはかなりcoolです。「sorry」も「Thank you」もない。この辺のmindは他の欧米人とは別です。シンガポール人も典型的な「人のせい」です。
そんなアジアのhubシンガポールにも、日本人は頭があがらないのが現状です。
Unknown
naotさん、おはようございます!
華僑に多いのが福建人ですが、中国国内でもアコギな商売をするので嫌われてますね。実際に知り合いがいるわけではないので、よくわかりませんが、「kiasu」という言葉には膝を打つところがあります。
ただ、中国人はそのマナーの悪さの一方で、関羽雲頂を尊敬し、孔子を生み儒教を生み出した国でもあります。
「kiasu」が良いとは思っていない一面もあるかもしれません。