昨日はお買い上げされた絵を見るのと、お仕事を兼ねてあ@花さんと千葉の袖ヶ浦に行きました。横浜に寄って東京湾を渡ると、そこは異空間。
大都会からトンネルを抜けると雪国・・・じゃない、田園風景。
実に不思議な体験でした。
絵の下でくつろいでいるのは御年18歳になる、老猫コロちゃんです。毛のきれいな猫ちゃんですが、年のせいかほとんど動きませんねえ。猫はこたつで丸くなる。
ただ、ここでの話は後日公開。まだナイショです♪
たまには母の書を。岐阜は恵那出身の教育家・佐藤一斎の言葉。こちらで子供用のアニメを制作予定です。どうなるかはお楽しみ♪
さて、本日は展覧会でよく言われた言葉で、多くの人に言われながら自分では違和感を感じた「書家の母と画家の息子」であります。
いや、自分でそういうコピーを書いて言うのも何ですが、この年になって、実はまだその言葉にわたしは違和感を覚えているのであります。
違和感を”いわんか”・・・なんて、ウフッ♪
よく世間の人は、わたしを含めた小暮家を赤坂の旧家だと誤解してる方が多いのですが、実際にはそうではありません。
わたしが子供の時分は、父は航空高専の先生でしたし、母は平凡な二児の母。変わってるところといえば、父方の祖母と母方の祖母が同居している、いわば「赤坂の八つ墓村」だったことくらいでしょうか。
父は苦学して、学校の先生をしながら論文が認められて埼玉大学に迎えられた叩き上げでしたから、私が小さい時に家族6人を養っていた時は大変だったでしょう。
もちろんだからと言って、私自身は貧乏した記憶はありませんが、小学生の頃に、母は一度使った小麦粉を袋に戻してもう一回使ってましたから、そんなに裕福ではなかったと思います。
柱は傾いて隙間風が吹きましたし、風呂場にはカマドウマやナメクジがいて、時にゴキブリホイホイにヤマカガシがかかっていましたから、相当なボロ家だったと思います。
母は子供の頃から書道をしていたそうですが、わたしが子供の頃は手のかかるバカ息子に追われて出来ないでいたようです。
母に「もう一度書をやれ」と言ったのはオヤジですが、再開したのはわたしが高校生くらいだったでしょうか。
しかしながら世は右肩上がりの時代。
わたしが20代半ばに教員をやっていた時、小暮家は父が大学教授。母は書道の先生。私は中学の教員。弟はコンピュータ関連会社の社員と、世間体的には黄金時代でした。
それが生々流転、あれよあれよと世の中も小暮家も変わっていき、20年後には家族全員がフリーランスとなってしまったわけです。
(今では父は故人となりました)。
そして今。先の展覧会、来るたび人に言われたのが・・・
「すごいわね、お母様が書家で、お父様が物理学者。あなたが画家で、弟さんが脚本家なんて」
「まさに芸術ご一家ね」
「やっぱり血筋っていうのはあるのよね」
ちゃう、ちゃう、ちゃいまんがな!
たいして売れとらへんし、それなりに苦労してまんがな(なぜか関西弁)。
なんて、いくら言っても謙遜かイヤミに取られてしまいますが、わが家はたまたまそうなってしまっただけなのであります。
しかしながら、それが世間というもの。
人の口に戸は立てられないといいますが、他人が思うことを変えることはできませんので、言うなとも言えとも申しませんが、実は褒めてるつもりで、これも差別に近いことにございます。
(わたしは言われませんが、『キミは頭良いから』というのも同じですね)。
もちろん、大関横綱の血筋から横綱が2人も生まれる花田家などを見ると、血筋や家系というものが存在することはたしかです。
遺伝を否定することは、神仏や親をも否定することに同じではありますが、大切なのは持ってるものを大きくする精進であります。
そういえば「ゲージツご一家」なんて、お尻がこそばゆくなる言葉を言われるの、母がどう思ってるか聞いてないな。たぶん、わたしと同じ感想だと思うけど、どうなんだろ?
昨日はどうもでした。
私は血筋に感謝しています。風邪を引かないこと。偏頭痛とか冷え性とかと無縁なこと。骨折しないこと。二日酔いしないこと。大食しても大酒飲んでも数値に響かないこと(除体重)。これは受け継いだもんじゃないかなあ。学歴とか職歴とかはそれぞれの努力と運だけど。
あ@花さん、おはようございます!
>これは受け継いだもんじゃないかなあ。
まさに御意にございますね。
近年は、街のあちこちに人種の違う顔をした母子連れを見ますが、これは良きも悪しきも含めて、本人の意志に関わらず受け継いだものに違いありません。
そんな意味でわたくしも両親に感謝すること多々ありですが、凸凹の多いところは母よりも親爺ゆずりなんでしょうね。
困ることも多いです。