三つ子の魂百まで


幼稚園時代からの友人のご母堂が亡くなり、昨日がお通夜でした。
場所は親爺の葬儀と同じ、千駄木の道灌山会館。行かないわけにはいきません。
彼の家は、赤坂の一等地にビルを持つ裕福な家庭で、
オモチャでもマンガでも色々持っていたので、子供たちにとっては絶好のたまり場でした。
彼のお母さまにはさんざんお世話になりました。
お元気とは伺っていましたが、80を過ぎた高齢な方の寿命はわかりません。
体調を崩し入院されていたそうですが、先生から「明日から通常食に戻れますよ」と言われ、
その次の日に亡くなられたそうです。
食事ができずに旅立たれたのは残念ですが、苦しむことはなかったそうです。

小学校と中学が一緒だったので、
お通夜には旧・赤小時代と赤中時代の友だちが顔を合わせました。
30数年ぶりに会った友だちもいましたが、5分足らずで昔に戻りました。
お約束で「変わらないね」と言いあいましたが、小学校の時と同じハズはありません。
若いモンが聞いたら「何言ってんだ、このオヤジたち」と思うに違いない。

道灌山会館をあとにして、「これも彼のお母さまのご縁」だと、西日暮里の駅近くでお清め。
たっぷり2時間、久々に話をしましたが、うーん。
たしかにどいつもこいつも、みんな変わらないぞ・・・。
お・・オレは進歩したつもりだし、大人になったつもりだが、やっぱり全然変わらないのか?
お前は特に変わらないだと? 何をぬかしやがるんだ、コイツは!
どいつもこいつもドッブリ、オヤジやオバさんになったのに、なんなんだ。
この”変わらない”って感覚は・・・?

きっと、それが「三つ子の魂百まで」ということなんでしょう。
人間、死ぬまで中身や性格は変わらないということなんですね。
楽しいやら、安心するやら、バカバカしいやら、何だかわからないお清めでした。

写真は根津美術館の庭園にある「渡唐天神像」。
天神さまとなった菅原道真公が中国に渡ったお姿です。

三つ子の魂百まで” への3件のコメント

  1. 御意
    まったくおんなじ感想を覚えたこと、思い出しました。

  2. 遺伝子
    私も同窓会でまったく同じ感想を抱いたことがあります。
    ところでここ二日間、えらい先生にお会いするため出張していましたが
    その先生のご著書を読み、遺伝について考え、祖父母までの経歴・人柄等を整理して先生に提出しました。
    自分は遺伝子から一歩も踏み出していないような気がしました。
    画伯にはまた近々、この先生のイラストを描いていただかなくてはなりませんのでご相談させてください。
    ところで深夜の書き込みです。
    私がこの時間まで寝ないのは珍しいのですが、天覧相撲のきせの晴れ姿を見るために必死に起きています。
    ではまた。

  3. 遺伝子の続きは・・・
    お頭さん
    コメント&ご同意、ありがとうございます。
    ところで個展の際は、ご案内を出せずに失礼いたしました。
    足跡に何か書いてご案内すれば良かったのですが・・・。
    ご容赦いただければ幸いです。

    あ@花さん
    そーなんです。遺伝子なんですね。
    その話はあとでブログの方で書こうと思っています。
    イラストの依頼、誠にありがとうございます!
    のちほど、よろしくお願いいたします。
    きせは躊躇なく千代に勝ちましたね。
    今場所は期待できるかも

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