司馬遼太郎と靖国神社


靖国神社に行くと、鳥居をくぐってすぐのところに大村益次郎の銅像があります。
大村益次郎(村田蔵六)といえば、司馬遼太郎の「花神」でご存知の方も多いと思いますが、
幕末から明治にかけ、一塊の村医から兵学者となり、日本を明治維新に導いた一人であります。

その人の銅像がなぜ靖国神社にあるのかといえば、
靖国は大村益次郎によって、戊辰戦争の官軍側の戦没者を祀るために
「東京招魂社」として創建されたのがはじまりだからです。
司馬遼太郎が自作の主人公に、靖国神社を創設した人物を選ぶというのも意外な気がしますが、
このあたりが”司馬史観”に疑問を呈す人が出る所以かもしれません。

つまり「明治の指導者はすばらしく、昭和初期の指導者は狂っていた」という
司馬遼太郎の主張に対し、異を唱える意見ですね。
たしかに明治の指導者は素晴らしく、それによって日本は近代化に成功したわけですが、
はたして昭和初期の指導者がそんなにクレイジーだったかというと、
そんなに簡単に言えないような気もします。
勝てない戦争をはじめてしまったのは100%指導者の責任だけど、
当時の日本が”奴隷になるか、飢え死にするか。さもなくば開戦か”
というところまで追いつめられたわけだしね・・。

はからずも「坂の上の雲」の映像化は、司馬遼太郎が戦争について、
・・・たとえばある種の反戦運動とは違った見方をしていたことを、
浮彫りにさせたような気がします。
極端な言い方をすると、クラウセヴィッツじゃないけど、
司馬さんは「戦争は政治の一手段」と考える冷徹さもあったように思えます。
ただ、先の敗戦があまりにショックだったんだろうな。
「バカな戦争をはじめてしまった」悔恨が原点になっているから、
どうしても先の大戦の全否定が司馬作品の前提になっているように思えます。

父は司馬遼太郎が好きで、その膨大の著作のほとんどを読破していました。
私も30代半ばを過ぎてから、司馬遼太郎の作品は夢中になって読みました。
最近、もういちど司馬作品を読み返し、いろいろ考えてみたいと思っています。

画像は父の功績を埼玉大学の先生がまとめてくれたもの。
個展の時にお持ちいただきました。
いや~、恥ずかしながら初めて知ることばかりでしたが、
わざわざお持ちいただき、ありがとうございました。

司馬遼太郎と靖国神社” への1件のコメント

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