麻布永坂 更科本店~敬語、謙譲語は何のため?


昨日は打ち合わせのあと、クライアントから麻布永坂 更科本店 でご馳走になる。
麻布十番は老舗の更級蕎麦屋が3軒あるが、ここはそのひとつ。
精製度の高い更級蕎麦としてみると、ここの蕎麦はやや灰みがかった白。
好みからすると、私は黒~い田舎蕎麦を濃い濃いのつゆにどっぶりつけて食べるのが好きなのだが、
こういったシンプルな味わいの蕎麦も良いものだ。
ぞっぞっと音をたて、美味しくノドに流し込む。

ところで先日、ブログに書いた「先生と呼ぶ、呼ばない」の話の続き。
昨日、火曜会で稽古のあとに一杯やりながら旧年来の友人と話したことだが、
国会議員や学校の先生などが「先生と呼ばせない」というのは、逆にあまり良いことではないという話になった。
日本語というのは、敬語や謙譲語などに象徴されるように、人間関係をあらわす表現が豊富な言語である。
源氏物語になぜ主語がないのかといえば、みかど→臣下、臣下→みかどといった人間関係が、
述語の中に含まれているからで、「私」とか「君」という表現が不要なのである。
今でも日本語というのは主語を省いて会話することが多い言語だが、
一方で、日本語の主語は「私」「わし」「ぼく」「朕」「拙者」「おまえ」「貴様」「てめえ」「君」「アナタ」など、
驚くほど数がおおく、しかもその多くが人間関係を示している。
その中で「先生」というのはどんな意味を持つ主語なのだろうか。
それは目上や目下の人間、売り手と買い手、友人同士など、さまざまな人間関係が混在しているところに、
共通に使うことのできる主語なんですな。
それを「使うな」「呼ぶな」というのは野暮のきわみ・・・
というより、日本語の使い方を理解していないということになる。
なんて話を夜中の1時くらいしていました。
まあ、それはそれとして呼ばれればくすぐったいのですが。

よく聞く話だが、教員の温泉旅行では「互いに先生と呼ばない」というルールを作り、
校長は「社長」、副校長は「専務」、教頭は「部長」、学年主任は「課長」と呼び合うそうだけど、
古手の女将は一目見てわかってしまうそうです。
まあ、それはかわいくて良いですがね~。

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