「マリー・ローランサンとモード」展〜ファッションとセットで見て、はじめてローランサンの真価を知りました。

春分の日、WBCのメキシコ戦を見終わった午後、渋谷東急の文化村で「マリー・ローランサンとモード」展を見に行きました。

渋谷は日本の勝利を祝うかのような、ものすごい人でしたが、東急本店跡は「ホントにここで展覧会をやってるのか?」と思うような工事中の感じ。東急文化村はオーチャードホールを除いた、最後のイベントにひっそりとした感じでした。

さて、Bunkamuraミュージアム最後の展覧会となる「マリーローランサンとモード」展ですが、友人からもらった株主優待券で行きました。
個人的にはマリーローランサンもモードも、興味ある画家でも分野ではなかったのですが、いざ行ってみたら面白かった!

以前、長野にあったマリー・ローランサン美術館も含めて、今まで何度も見てきた画家ですが、あまり惹かれた記憶がありませんでした。
でも、今回の展覧会を見て初めてわかったのは、マリー・ローランサンはファッションとセットで見ないと真価がわからないということでした。

パステルカラーで描いた一見メルヘンチックな少女の絵は、この世にいっぱいありますが、ローランサンの絵は淡い色調の背後に、もっと別の強いものがあります。

ローランサンは私生児として生まれたとか、詩人のアポリネールと交際したとか、その人生を見ると、もっとダークサイドがあっても不思議ない画家なのですが、どうやら、どの絵を眺めてもそのような心の澱は見当たりません。

▼あ、この絵を除いては。

▲こちらはココ・シャネルの肖像画。

ココ・シャネルが描き直しを要求し、ローランサンが拒否したことで、 シャネルが受け取り拒否をしたといういわくつきの絵ですね。

ローランサンの絵で、これだけ寂しげな絵は珍しいですね。
たぶんシャネルが人に見せたくない内面を、ローランサンが絵に描いてしまったからでしょう。

生まれながらに裕福な上流階級の夫人を描いた作品に、こんな寂しそうな絵はありません。ちょっとベラスケスの「イノケンティウス10世の肖像」を思い出してしまいました(画像はwikiより)。

シャネルを撮影したマン・レイの写真なども展示されてましたが、ほかの写真や絵は満足されたものだったようで、この絵にあるような寂しさは微塵もありませんでした。人間は色々な側面を持っているものですね。

会場内は女性客でいっぱい。
男性客は連れてこられたような人ばかりでした(笑)。

一緒に行った妻はローランサンがデザインした服を「私が着ると、とんでもないことになる」などと言って楽しんでおりました。

なるほど、私はそんな見方をまったく出来ませんから、そうやってマリー・ローランサンを見るのが正しい見方というわけでしょうか。

「マリー・ローランサンとモード」展は4月9日まで。

東急文化村、最後の展覧会をこの機会にぜひご覧くださいませ。

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