ブラタモリ「法隆寺」を見て、いみじくも子供の時、父に教えてもらったことを思い出しました。

おうち生活、昨日は晩酌をしながら、あらかじめ視聴予約をしておいた「ブラタモリ・法隆寺」を興味深く見ていましたが、子供の時に行った時の記憶がよみがえってきて、それも面白かったです。

一番最初に法隆寺に行ったのは、たしか小学校5年か6年の時でした。
次が中学三年の修学旅行。
最後に行ったのは26歳、教員時代に一人で行った時ですから、もう何十年も足を運んでいなかったのですね。

さて番組最後の方で、江戸時代に彫られたデコラティブな象の木彫を指して、タモリさんだったか、解説していたお坊さんだったかが、「あれは雰囲気をこわしておりますなあ」みたいなことを言っていましたが、親父がまったく同じことを言っていたのを、いみじくも思い出しました。

「マスオくん、あれは後から江戸時代に彫られたものだよ。まったく江戸らしく、しまりがない」

言われてみればそうだな、と思ったものですが、それから私は不思議と江戸のものと、飛鳥時代から鎌倉時代の違いがわかるようになりました。今の職業につく、最初のきっかけだったかもしれません。

親父は私を自分と同じ学者になってほしかったようですが、どうやらその時から無意識に今の仕事になる方向付けが、されていたのかもしれません。私の能力で学者はムリでしたからねえ(笑)。

ところで、実はわたくし…親父のことが、そんなに頭が良いと思ったことがありません。いや、もちろん私のアタマがそこまで良いわけではありませんよ!

なにせ父は自分ではお湯もわかさない、日常のことが何もできなかった人でした。
子供なりに父は尊敬していましたが、それは父の生き方や勉強に対してだったと思います。専門だった物理自体は、当時まったく理解できませんでしたからね。

もちろん親父のことを尊敬する人は数多くいました。そういう人は、今みんな医者や大学教授といった仕事についていて、学業について親父のどこが賢かったのか理解できる人ばかりです。私に理解できなかった親父を、そういう人たちは即座に理解できたのですね。いや、まったく皮肉なものです(笑)。

最近になって、そのことがわかるようになったのですが、タモリさんか僧の言葉と、父の言葉が重なって、そんなことを思い出した次第です。

そうそう。父と自分の話ばかりで恐縮ですが、ブラタモリで興味深かったのが、なぜ法隆寺が現在の地に建立されたか?という話が面白かったですね。

最初に行った時に思ったことが、「あんなに有名なお寺なのに、なんて辺鄙なとこにあるんだろう」ということでした。小学校5年の子供が、そんなこと思うのか?…と思うかもしれませんが、とにかく法隆寺は乗り継いで遠かった記憶がありました。

今も昔も陸路の交通の便がよくない場所ながら、大和川を経由して大阪四天王寺の方まで容易に繋がる、水の交通があったのですね。木材だって簡単に運べちゃうわけです。

如何にもブラタモリらしい地形の解説に加え、聖徳太子の賢明さにも感心!
実は、最初にそのことを書こうとして脱線してしまい、失礼いたしました。

写真は京都のおばんざい萬川さんのお野菜。
早く京都や奈良に行けるようになってほしいものですね。

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