好きな相手だからこそ苦しめることもある

タイトルでいう”好き”というのは、もちろん恋愛関係の意味もありますが、そこには親子同士や友人同士という意味が含まれています。

マザー・テレサの言ったことに「愛の反対は憎しみではない、無関心だ」という言葉がありますが、やはり「愛」の反対は「憎しみ」、あるいはそれに近い感情ではないかと思うのです。

マザーの言う「愛」とは、英語の”love” やフランス語の”amour”などのような、母親が子どもに対して抱くような無償の愛という意味が本質ではないかと思います。
一方で日本語の「愛」は、 明治になってからの新語でして、英語の”love”などを翻訳した言葉です。

仏教で言う愛には「執着」する意味が含まれていて、煩悩の心なので、必ずしも良い意味ではありません。

そういう愛は簡単に憎しみに変わります。
巷で起る痴話げんかやストーカー騒ぎなどは、そんな極端な例ですが、そこまで行かずとも実際に親しい人どうしでも。好きな相手だからこそ、その人を苦しめたり、また逆もあったりすると思います。
それが故意でない場合もあったりすると、それはなおさらかな。

無関心な相手にそれはないですからねえ。
家族間では、本当によくある話ではありますが。

一概には言えませんが、愛が憎しみや怒りの感情に変わるときは、だいたい自分中心に考えがまわっている時な気がします。だからこそ相手を傷つけている時は、自分も苦しいし、逆もまたそうです。
花風社刊「愛着障害は治りますか?」のイラストを担当したから思うわけでもありませんが、最近あったもろもろのことから、そんなことをふと考えました。

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