↑ 永谷園のオマケで有名な箱根宿。写真の出典はwikiによるものです。
昨日はクライアントのあ@花さんと山種美術館で開催中の「浮世絵 六大絵師の競演」を見てきました。
春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重という江戸浮世絵、ビッグスター6人の絵師の競演という触れ込みでしたが、圧巻は何と言っても広重の「東海道五十三次」。
ちゅうか、東海道五十三次すべてが展示されているという、ちょっと見たことない展覧会で、なんでこれを「東海道五十三次」と言わなかったのかなと思うほどの豪華絢爛たる展示でした。
わたしも東海道五十三次を一堂に会して見るのは初めて。
いわば江戸の「るるぶ」ですから、人気があっていっぱい刷られたわけですから、すべて残っていても不思議ありません。ただ、発行されたのが1833年と180年以上前ということを考えると、これだけ揃ってみられるのは大変なことであります。
↑ さて、こちら出発の日本橋。絵の一番上の空に注目ください。
広重の作品は青が特徴的なことで有名ですが、この青はベロ藍と呼ばれる鉄を原料にした化学顔料で、プルシャン・ブルーなどとも呼ばれています。
欧州で生まれた、この化学色剤が日本にわたってきたのは江戸中期の頃。
鎖国というのは幕府の許可なく輸出入ができないだけのこと。
外国のものはしっかり渡ってきまして、五十三次にも西洋の遠近法が取り入れられてるのがわかります。
プルシャン・ブルーを最初に使った絵師のひとりに伊藤若冲がいますが、もっと時代が下ったこの頃には、浮世絵で大量に刷られるほど一般的になっていたのでしょう。
この青が逆輸入され、西洋ではヒロシゲ・ブルーなどと呼ばれるようになったそうですが、ゴッホやマネ、モネなどの印象派の画家たちに大きな影響を与えるようになりました。
絵のモデルになっているのが丁字屋で、現在でもとろろを出すお店として有名です。
東海道五十三次を見ると、意外に食べてる絵が多かったり、米俵を運んでる絵があったりすることです。
大井川の人足など、肉体労働をする人たちの裸が、ぷっくりお腹が出ていたりして、かなり食料事情が良かったことを伺わせます。
あ@花さん曰く「平和ってこういうことだよね」
そうそう。
安心してご飯が食べられる幸せですね。
この時代にアートという考え方はなかったでしょうけど、東海道五十三次を見て幸せになった江戸庶民は多かろうなあ。
そんなことを思いなから、美術館のカフェで冷やし抹茶と素甘(すあま)をいただきました。美味しくて、こ”まっちゃ”うなあ・・・なんて、ウフッ♪