浮世絵のあとはモネ展、昨日からの続きです。
今回のモネ展は上野西洋美術館と、箱根にあるポーラ美術館のモネ収蔵品によるコラボで、モネ以外にも周辺のセザンヌ、ルノアール、コロー、クールベ、シスレーなど、錚々たる顔ぶれの印象派の画家たちが勢ぞろいでした。
印象派の画家が点描を使いはじめたのは、いくつか原因があるのですが、私の個人的意見を申し上げると、次のような理由が挙げられると考えています。
1、保守的なサロン絵画に観客もアーチストも嫌気がさして来た。
2、写真技術が発達し、描写的な絵が必ずしも必要ではなくなってきた。
日本の浮世絵が印象派の画家たちに熱狂的に受け入れられたのは、そんな平面的な輪郭表現が新鮮に感じられたのだと思われる。
3、チューブ式絵具という、コンパクトで持ち運び自由の画材が製造され、野外で写生ができるようになった。
4、化学染料の発達により、今まで出せなかった鮮やかな色が得られるようになった。
5、光と色のしくみが科学的に解明されていった。
ここで面白いのが、1を除く2〜5までの理由がすべて科学の発達に関係してるということです。
特に5の「光と色のしくみ」については長いこと、科学者はもちろんアーチストや哲学者も悩ましてきた問題だったのです。
では、色と光とは何か?
↓ ご存知の方も多いと思いますが、こちらの図をご覧くださいませ。
光とは目に見える電磁波(電波と同じ)であり、色とはその周波数を脳が振り分けてるシルシであるのです。
脳の視神経には光を感じる神経と、Red(赤)、Green(緑)、Blue Violet(青緑)と言う、3つの周波数を感じる神経がある。このことを、印象派の画家が医学生の知り合いから聞いたことで、光の粒で構成された絵画が生まれた、それが印象派だったというわけですね。
何人もの印象派の画家を一堂に介して見る中、モネの絵はダントツに光の表現に長けていました。
シスレーやシニャック、展示されていませんでしたがスーラなどは、興味の焦点が「点描」をいかにしていくかということでしたが、モネの興味はあくまで光。
溢れるような光の洪水をいかにキャンバスの中に閉じ込めるか。
そんな意味でモネという画家は印象派はもちろん、絵画史の中でも大変なことを成し遂げた画家だったのだなと実感しました。
印象派の画家にはゴッホやゴーギャンのように、生涯貧困の中に暮らし、悲惨な死を遂げた人もいれば、モネやルノアールのようにすべてを得てベッドの上で天寿を全うした人もいます。
後世になって、その人たちの絵がその生涯とは別に評価されているというのは、当たり前のことながら、思った次第。
わたしもゴッホやゴーギャンよりは長生きしましたが、まだまだモネやルノワールの年齢にはまだまだ。
一昨日、古希を迎えたミック・ジャガーの 元気な姿を見ながら、まだまだヒヨッコだと感じたのであります。