おばあちゃんはプロレスがお好き


ばあさま話の続きです。

小暮家には先に申しあげたように2人のおばあちゃんがいましたが、
見た目も性格も真逆のタイプでした。

母方のおヱイさん(二階に住んでたので上のおばあちゃん)は苦労知らずの家付き娘、
父方のおフジさん(一階に住んでたので下のおばあちゃん)は後家50年の苦労人でした。

育ちの良いおヱイばあさんは、いくつになってもミーハーなところがあり、
今は死語になってしまった、よろめきドラマ、メロドラマが大好きでした。
(生きていれば韓流ドラマにハマっていたでしょう)。

子供の私は不倫やら出生の秘密やら、何のことだか意味がわからず、
「おばあちゃん、こんなのが面白いの?」と聞いたことがあります。
「大人になれば、お前もわかるよ」と言われましたが、どうも未だにね~。

一方、おフジばあさんは、そんなメロドラマが大嫌い。
おヱイばあさんが、愛を育むシーンに入り込んでいるのを見て、
「くどい!」
「ベタベタしてる!」とテレビに向って両手の平を突きだします。

そんなおフジさんの大好きだったのがプロレスで、
耳が悪かった下のおばあちゃんはイヤホンを最大ボリュームにし、
肩をいからせながら入り込んでいて、
プロレス見るより、おばあちゃん見てる方が面白いなんて言ってたものです。

「イノチは強い!
 イノチが強いけど、サカグチも大したもんだ」
(イノチはもちろんアントニオ猪木のこと。
 サカグチは坂口征二、あの坂口憲二くんのお父さんですね)。
「ガイジンは悪い!
 最初はイノチもやられてたけど、最後はやり返した!」

そんなおフジばあさんは耳が悪い上、字があまり読めなかったので、
新しい単語はずいぶん間違って覚えていたものでした。

ぷらちく→プラスチック
えれすとろん→エレクトーン
石源→吉池(近所のスーパー)

何度、注意しても直らないので、おしまいはみんなが単語を覚えて話を合わせていたものですが、
文字をよく知らない母から、親爺のような学者が生まれたのか不思議です。
(不思議と兄弟全員が教師などのインテリ層なのですね)。

それでもおフジばあさんから見ると、ぶきっちょだった親爺は鈍重な息子に見えたらしく、
「ヨーゾーさん、アタマはな、生きてるうち使うモンだ!」なんて言ってたそうです。
(昔の親は息子を”さん付け”で呼んだみたいですね
 ”ゲゲゲの女房”でも、水木先生の母は”しげさん”と呼んでましたし)。

今、考えると生きる術を知っていたおフジばあさんは、
もしかすると親爺よりアタマ良かったかもしれませんね。

画像のマンガは、拙著「物理のしくみ」から。
ばあさまネタではなく、私の少年時代の思い出を描いたものです。

おばあちゃんはプロレスがお好き” への2件のコメント

  1. 遠い思い出
    画伯、こんにちは!
    婆ちゃんbotです。
    画伯が子供の頃のお婆さん達の記憶が漫画に出来るように、私も頭の中に祖母との思い出が沢山あって絵に描けたらいいなって思います。

    トイレの神様という歌がヒットしましたが、お婆ちゃんの存在は良いにつけ悪いにつけ皆さん印象深いものがあるんでしょうか。 

    我が103歳没の祖母(母方)はフジお婆さんに近いかもしれませんね。
    同居ではなかったのですが、しょっちゅう我が家に来たり祖母宅へよく遊びに行きました。
    恐ろしく田舎で川のほとりに建つ茅葺屋根の家でした。夏は川のせせらぎを聞きながら縁側の引き戸を開け放って蚊帳の中で寝ました。

    祖母も子供の頃 奉公に出て、結婚し8人の子供を育てました。9人目は納屋で一人で産んだそうです。その女の子は数ヶ月で亡くなったと残念そうに話してくれました。
    祖母は(私も含め)出産後の孫達の姿を見るたびに「今頃の者は皆、庄屋じゃのう」と言ってました。子供を産んだ次の日から農作業をしていたんだそうです。

    祖母の幸せって何だったのかなぁ…とふと考えたことがありましたが、祖母には、そんなこと考えること自体がしょうもないことだったかもしれません。「うちの子らは悪いことせんし、よう働く子ばっかりじゃ」と言ってたことがあります。これが答えなのかもしれませんね。
    私にはあの祖母のような根性と負けん気と体力はないですが、いい目標です。
    またまたツボにはまりまして我が祖母の話失礼いたしました。

    「物理のしくみ」は、物理赤点寸前の私は漫画の所を読んで、本題に入ると意識が遠のいてしまい・・・
    三男は、読んだといいますが理解できたかどうか私には定かではありませんです

  2. バアちゃんbot
    いっちゃん、おはようございます!

    バアちゃんbot、いつもハマっていただき、ありがとうございます!

    >私も頭の中に祖母との思い出が沢山あって絵に描けたらいいなって思います。

    面白いですな。
    そのうち、ばあさんの本でも出したいところです。
    期待してお待ちくださいませ。

    >祖母には、そんなこと考えること自体がしょうもないことだったかもしれません。

    昔の人は「私」という考えが希薄だったかもしれません。
    若い頃は「滅私奉公」という言葉に抵抗を感じたものですが、
    この本当の意味がわからなかったのだと思います。

    人間だんだん年を重ねてくると、物欲よりも(消えてませんが)、
    他人や世の中のためになることをしたいと思うようになるようで、
    103歳のおばあさまもきっとそうだったのではないでしょうか。

    >「今頃の者は皆、庄屋じゃのう」

    広島は庄屋ですか。
    おヱイばあさんは「お大尽」という言葉をよく使ってました。
    リンゴの皮を厚めに剥くと、
    「マスオちゃん。アンタ、ふに、お大尽剥きだねえ」
    (”ふに”は、広島便だと、アンタ”はあ”みたいなモンでしょうか)。

    それから「ウナギが食えて、今の子は幸せだ」なんて言ってました。
    子供の私には何のことだかわかりませんでしたが、最近になってようやくわかるようになりました。

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