傲慢な死刑廃止論〜人権とは何か?

仮釈放ない終身刑:英制度廃止へ

↑ なんじゃこりゃってニュースですな。

死刑廃止は世界の趨勢って言いますが、死刑に代わる終身刑まで「絶対的終身刑」を廃止にしようとしてるなんて、被害者の遺族はいったいどうなるのという感じですね。

人権というのは大事な考え方ではありますが、個人的にこの言葉を金科玉条とすることにに胡散臭さ・・・というか、一種の傲慢さを感じます。

ウィキによれば「人権」という考え方は、イギリス憲法の祖マグナ・カルタまで遡るようで、それは王さまの権限を制限するための法としてはじまったようです。12世紀と言いますから、「人権」という考え方は意外に古くからあるんですね。

もともと人権は、国家が国民の生命や権利を脅かさないために考えらえたようですが、もちろん、それはイギリス自国民限定・・・植民地時代にインドや東南アジア諸国にしたことを鑑みれば、インド人らは人間扱いされていません。

もちろん時代が違うので、それら植民地時代に行ったことの断罪はできませんが、その反動か、最近は動物までanimal rightsという人権ならぬ、動物権なる考え方まであるのですね。

絶滅危惧種の保護は仕方ないとして、行き過ぎた動物愛護じゃないけど、animal rightsなんて考え方は如何なものでしょう。かえって人間の勝手で、傲慢さを感じるのですが・・・。

同様に死刑廃止も本質的に傲慢な考え方だと思います。

死刑廃止のもとは「人間が人間を裁いて良いか」という考え方だと思いますが、一方では「人間が人間をどこまで赦して良いか」という考え方もあるはずです。

西洋の考え方で言えば、人を裁くのは神であり、赦すのも神であります。
天網恢々粗にして漏らさずと言いますが、そうは言っても、現実問題として人は人によって裁かれもし、赦されもするわけです。

ただ、キリスト教的な考えでいえば、それも神の代弁でありましょう。

わたしが死刑廃止が傲慢な考え方だと思う点はそこでありまして、この「加害者を赦す」という行為に、自分たちが神の代弁者であるという意識を感じるのであります。
何人も人を殺した人間を誰が赦すのでしょう。

赦すとすれば神のほかありませんが、その代役をしてるのは他ならぬ人間、それも欧米を中心にした一部の人たちであります。

その点は、animal rightsにしても同様であります。
聖書には神の姿を模して人間を作ったとあり、ヒトと動物の間に厳然とした違いがありますが、その辺りが「人権」に感じる違和感と共通したものがあります。

ことの善し悪しは別にして、中国やイスラム諸国に「人権」という言葉を使っても、まったく馴染まないというのは、そういったわけでしょうね。

まあ、私は死刑廃止には反対ですが、中国のように迅速な死刑執行というのも如何なものか・・・ただ、3000年間誰かしら皇帝の支配下にあった人たちに「人権」と言っても、何のことか理解されないのも確かです。

中国の例はわるい意味で極端ですが、死刑廃止というのが先進国の趨勢、というのも実にキリスト教圏を中心にした欧米の思い上がりに思えるのです。

植民地時代、宣教師を先遣隊にアジア、アフリカを文字通り搾取してきた人たちが、過去を忘れて「人権」を自分たちの価値観で押し付けてくるというのも如何なものか。

もちろん、植民地時代を知る人は存命してませんし、それを言えば、過去の歴史をしつこく追求する隣国のようですが・・・。

それはともかく仮釈放ありの終身刑は論外です。何のためのペナルティかわかりません。被害者の家族は死んでも死にきれないでしょう。

刑罰が野蛮とするなら、刑罰されるようなことをした人間はいったいどうなのか。
被害者の遺族はどうなのか。

死刑廃止論も一種の原理主義でないかと思えるこのごろでした。

この話はまだ自分の中で整理できてないところがあるので、後日また考えてみたいと思います。

 

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