阿佐谷「世尊院」の石仏。密教のお寺ということで、「おん あぼきゃ べいろしゃのう」という光明真言と呼ばれるお経が何とも印象的でした。
昨日は叔父の四十九日、実家の母たちと赤坂見附駅に10:05に待ち合わせです。
実はわたし・・・もともとは時間に正確という方ではありません。
学生時代は”多摩美時間”なんていうくらい、時間に遅れるのが良いことみたいにルーズな連中の巣窟にいましたから、20代も後半くらいまでは、待ち合わせ時間に遅れるなんて、当たり前でした。
そのうえ時間間際になると、モノを探したり、関係ないことをしはじめて、約束時間に間に合わないこともしばしば。
それが社会人になり、さらにフリーランスになると、時間に遅れるということは、時に仕事を失うことを意味しますので、かなりキッチリ守るようになりました(特に〆切ね)。
それが家族相手だと、つい地が出るんでしょう。
赤坂見附駅は隣ですから、なおさらです。
遅刻は7〜8分くらいのものでしたが、母たちは15分前に着いてたらしく、待ち時間は20分以上。寒い中待たされたとカンカンです。
お清めは中野サンプラザの10階、なかので行われました。あそこって、コンサートホールしか知らなかったけど、結婚式場やホテル、飲食店も兼ねてるのね。
間の悪い時というのは、こんな日に限って、電車は来ないわ、寒いわ、スギ花粉は飛んでるわ。
阿佐ヶ谷に行くと言うのが、てっきり地下鉄で行くと思ってたら四ッ谷で乗り換え。
叔父の家は丸ノ内線の南阿佐ヶ谷でしたが、法要が行われるのはJRの阿佐ヶ谷駅だったのですな(わたくし・・・行く場所もわかっておらん、しょーもないヤツです)。
普段あまり電車に乗らない上、使う時の大変は地下鉄なもので、JR四ッ谷駅の吹きっさらしの寒さにびっくり。しかも電車が行ったばかりで、待ち時間は7〜8分くらいのものでしたが、その間、母の怒りはおさまらず。
「普段、行かないところに行く時は、余裕を持って出るものよ。それが、アンタときたら! ○×△(親戚の名前)は、こっちよりいつも早く来てるのよ。ギリギリに行くの、お母さん大っ嫌いなのに、アンタがいつも遅れてくらから(以下、ほぼ同じフレーズの繰り返し)」
いやあ、ご説ごもっとも。
わたしが悪うございました(本当ですわ)。
ようやく急行が来たと思ったら、何と土日、中央線は高円寺と阿佐ヶ谷は通過という車内放送があって、大慌てで中野駅で下車します。
さらに追い打ちをかけるように、各駅停車のホームは向かい側になく、いったん階段を降りて別の遠いホームまで歩いていかないといけません。
通常、急行と各駅の場合は、ホーム向かい側に電車が来るはずなのに、中央線中野駅は、向かい側が東京メトロと総武線の乗り入れになっているのですね。
な、な、なんでこんな効率の悪いことするの?
JR中野駅も四ッ谷駅同様、吹きっさらしで、しかもエスカレーターなし(別の階段にはついていたようですが)。
さすがにペースメーカーをつけている母に上り下りはさせたくないのですが、間の悪いときはこんなものです。ここまで来ると、遅刻もシャレになりません。
お寺に着いたのは法要のはじまる10分前でしたが、親戚一同の中でわたしたちが一番遅かったのは言うまでもありませんでした。
それにしても遅れたわたしに非があるものの、それとは別にして、JRのホスピタリティの悪さは相当なものです。
阿佐ヶ谷に住む親戚の話では、将来的にJRは阿佐ヶ谷駅と高円寺駅を中央線から外すそうで、郊外に住むユーザーを優先するとかいう、意味がよくわからない方針を示しているそうです。
法要はつつがなく終わり、陽気でお酒の好きだった叔父さんの供養になるような、賑やかな宴でしたが、たまにJRを使うたびにこんな不満が出てくるのですが、こういうことって何とかならんもんでしょうか。
JRに乗って私鉄との乗り換えを見ようとすると、書いてなかったりと、国鉄から民営化されて30年近くなるというのに、客のことを考えているのか疑問です。
本日はまだ綿々と残るJRのお役所的な体質に八つ当たりした次第。