▲太閤はんの正妻ねねをお祀りする高台寺のお庭です。
ファミマ「お母さん食堂」の名前変えたいと女子高校生が署名活動、
「料理するのは母親だけですか?」
昔、「私、作る人」「ぼく、食べる人」というハウス食品のCMが男女差別だと言われ、2ヶ月で放送中止になった経緯がありましたが、つまらないことを言う人間はいるものです。
ただ、今回の女子高生だかの署名運動は、このCM中止よりはるかに問題です。
なぜなら、そこに母親…お母さんに対する敬意が微塵もないからです。
そもそも子供を産み、育てること以上に尊いことがありましょうか。
この世に母親以上に有難いものはありません。
「料理を作るのは母親の仕事と決めつけるのは、けしからん」というのは、毎日の食事の支度に勤しむお母さんたちに対する愚弄です。言いかえれば、食事の支度を「やらされる仕事」として、下に見てるわけですからね。
世の多くのお母さんたちは、子供の健全な成長を願い、少しでも体に良いものを子に与えようとします。その部分が完全にすっぽ抜け、「男女差別はイカン」というスローガンにすり替わっているのですね。
私が子供の時分、母はまだ書家ではなく専業主婦でしたから、毎日家族6人分の食事を三食作ってくれました。
その時、たまにお菓子作りや、餃子の皮包みなどを手伝わされた覚えがあって、それが多分、今の食いしん坊に繋がっているのだと思います。
左翼系の人の思考回路というのは、先ず「食事の支度は母親はやらされる仕事」 「徒競走は足の遅い子がかわいそう」といった、一方の立場だけからモノを見た決めつけからはじまります。
そこに、子育てを喜びとして食事を作る母親の気持ちや、足が早い以外に取り柄のない子供の気持ちは組み込まれていません。
こうした人たちは、「個性」だとか「みんな違って良い」と言いながら、一つの決まったモノの見方、価値観以外を認めないのです。
「男女差別がいかんから名前を変えろ」というのは、言い換えれば「気に食わないものは消せ」ということです。
スケールは違いますが、これはスターリンや毛沢東がやった粛清と、思考回路的にはなんら変わりません。