古典は本当に必要なのか?

古典は本当に必要なのか?

ネット上で話題になっているシンポジウムだそうです。
私はこれを見て「そんなバカなことをいうな、必要に決まっているじゃないか」と思ったのですが、ネットの記事を読んで、よく考えてみればどっちでも良いかなと思いました。

人間、得手不得手があるのですから、古典など何の興味もない人も大勢いるのであって………それを言えば私の専門の美術などは、いらない人にとっては不必要の最たるものであります。

ただ教育で何が一番大切なのかと言えば、どの教科がどうとかではなく、子供が大人になった時に、どう飯が食えるようになるか。どう生きていくことができるか。
下世話なようですが、その智慧を身につけることが一番肝要に思えます。

余計なことをいっぱい知っていれば、何か困った時に、その余計なことが助けてくれる。それが教育じゃないかな。

極端なことを言えば生活できる手段を身につけられるなら、別に教科など何を選んだって良いわけです。ただ、そこに最低限の智慧は必要です。
江戸時代の読み書き算盤ではありませんが、最低限の日本語を身につけ、お金のやりとりができるくらいの算術はできないと話になりません。

そういう意味では、自分たちの生まれた国の成り立ちや、昔の人が何を考えていたのかを理解できる古典というものは、知らぬより知っていた方がよろしい。

たとえ今の考えにそぐわない封建時代の考え方であろうと、触れてみない限りは良し悪しも判断できません。まあ、そんなこと知らずにいる人の方が多いことは多いのですが。

そんなことよりも、今の教育のあり方の一番の問題点の一つは、まずは横並びの考え方だと思います。

たとえば、テストにおいて3年生で習う計算方法を、1年生で答えたら、たとえ正解でもバツになる。実際にそういう教師がいるらしく、ツイッターなどで炎上したそうですが、これはもう論外です。

また東日本大震災の時、救援物資として届いた食料を平等に配らなければダメと言って、貴重な食べ物が行き渡らず、泣く泣く廃棄したことがあったそうです。
「平等に」が最優先で、人命が軽んじられたわけですね。 横並び教育から生まれ出た、悪しき思考回路の末に起こったことに違いありません。

この「古典は本当に必要なのか?」という議論も、そんな横並び思想の一環かな、なんて思いました。もう少し融通が利く考え方があってもいいのではないかな。

今の教育のベースは、戦後、GHQが二度と米国に牙を剥かぬよう、日本を骨抜きするために編み出された部分が多いわけですが、マッカーサーも少し薬が効きすぎたと、あの世で苦笑してるやもしれません。

あ、いかん、いかん。

こんなこと言うと、またお叱りのコメントを受けてしまうかも(笑)。

カルタゴはローマに滅ぼされたのではなく、教育の崩壊から滅んだとも言われますが、わが国もそうならぬよう願うばかりです。

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