猫と女性は出てこなかったけど、とっても良かった日曜美術館の「藤田嗣治展」

西日本豪雨に猛暑、先の台風21号に北海道地震と災害の続く日本列島、被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。
どうか、これ以上の大きな災害が来ませぬよう祈るばかりです。

しかしながら、こういう時だからこそ東京の人間は平常運転。なるべく被災地の生産品を購入して、日々の生活をいつも通り送るのがつとめであります。

絵描きは絵を描くのが業なので、本日は絵の話。
以前、拙ブログで上野の東京都立美術館で開催中の「藤田嗣治展」を取り上げましたが、昨日オンエアの日曜美術館では、今まで知られてなかったことがあって大変興味深いものとなりました。

まずゲストの宇野亜喜良先生が良いですね。ホスト役の作家・小野正嗣さんも藤田嗣治と同じ誕生日なことにシンパシーを感じているのか、好感の持てる受け答えでした。
「ここに大観はいない」と言っていた、高橋源一郎氏の時とはエライ違いです。

番組は主にパリに渡った時と南米に渡った時のフジタ、日本に戻ってきて「戦争画」を描いた時のフジタ、そして最後にパリに戻ってフランスに帰化して二度と日本の地を踏まなかったフジタについて構成されていました。

藤田嗣治は女性関係も華々しく、また愛猫家としても知られていましたが、そちらのやわらかい方ではなく、主に時代に翻弄されて、戦争画を描いた前後にスポットを当てていました。

個人的には猫と女性を愛したフジタも見たかったのですが、45分のワクで81年の生涯を語るには仕方なかったかな。

意外だったのは、戦時中の日本軍の支持で戦争画を描いていたフジタが、どうやら腕をふるう見せ場として、嬉々として描いていた(言い方は悪いですが)可能性があるということです。

あの「アッツ島玉砕」は、あれ以上戦争の悲惨さを描いた作品はなかろうというほどの迫力ですが、まあ考えてみれば、イヤイヤ描いていたのでは、あの絵は描けないわなあ。

番組ではフジタの手紙が取り上げられていて、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」など、ヨーロッパ歴史画に匹敵する、それ以上の作品を描こうと意欲を燃やしていたことが伺えます。

結果として戦争の悲惨さを訴える作品になってしまったわけで、この絵が戦意高揚に役立つとはとても思えないのですが(苦笑)。
当時の軍部も何も言わなかった……というより玉砕を推奨していたのかな??
戦争というのは、たぶんそのようなものであり、そこまで軍部もおかしくなっていたのかもしれません。

芸大時代、教授だった黒田清輝とソリが合わず、「黒田先生ご推薦の絵具箱を叩き付け」同大学を中退という藤田嗣治は、当然ながら、人にやれと言われて、はいそうですか、という人ではなかったでしょう。

たとえ軍部の命令でも、イヤなものは描かないだろうし、わざわざ戦争に突入した日本に戻ったのは、なぜか。

黒田清輝と反目したということからも、フジタは日本画壇から嫌われていたようです。ましてパリで成功した画家ですから、同じ絵描きの嫉妬も凄かったようで、新聞などにはクソミソに書かれていたようです。

そこを挽回するには、日本画壇から何も言わせない軍部支持による「戦争画」だったということですが、けっきょく敗戦後、GHQに戦犯として目をつけらえたわけですから、まさに時代に翻弄された画家と言えましょう。

面白かったのが、番組で公開された晩年近くフジタの肉声です。

それはこの人なら、こういう声を出すだろうという粋な江戸前言葉。
死神と自分がやりとりする三遊亭円朝ばりの自作自演のお芝居は、この画家のお茶目な側面を見せてくれました。

今週、また藤田嗣治展を見に行く予定です。
まだの方は、ぜひ足をお運びくださいませ!

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