「沈黙」読了いたしました!

遠藤周作の「沈黙」、読了いたしました。

中学生時代、遠藤周作の狐狸庵先生のエッセイ(お若い方はわからんでしょうな)のファンだったので、ついでに読もうと途中で挫折したのを、読んでる最中に思い出しました。

軽妙なエッセイの延長だとタカをくくって読んだところ、とてつもなく重い話にびっくり。キチジローが司祭を裏切るところで放棄したことも思い出しました。

ほとんど初めて読む感覚でしたが、あらためて読んで衝撃と感動(映画の宣伝文句か!)に包まれているところです。

大航海時代、宣教師が植民地の先遣隊になっていたのは有名な話で、九州の農民も大勢ヨーロッパに奴隷として売り飛ばされていたわけで、私はそのこともあって、この小説を長いこと避けてきました。
キリスト教徒の迫害をテーマにした、多分に左翼的傾向のある小説だろうと勝手に思い込んでいたのですね。

それがいざ読んでみると、キリスト教と日本の風土の本質に根ざした深い物語であることに、驚きと感銘を持って接することになったのです。自らの思い込みと偏見は恥じるばかりですが、なにごとも読んだり接したりしないとわからないものですね。

遠藤周作は自らのエッセイでも、日本にキリスト教が根付かないことを書いています。熱心なクリスチャンであったにも関わらず、キリスト教に対して懐疑的・・というよりは、教会について懐疑的だったと言いましょうか。

知り合いの宮司の話では、神社ではクリスマスも祝うそうです。
お寺では「樅の木祭り」と言うそうですが、八百万の神を信仰する多神教の神道では「クリスマス」そのものを祝うというわけです。

しかしながら、そうしたキリスト教の神は西洋で信仰されているキリストの教えとは別のものになる。全能の神デウスは、密教で言う「大日」 と発音が似てるため、日本人は一緒くたにして尊崇したのですが、それは違ったものであると、小説の中でも描かれていました。

もっとも重い言葉が、タイトルにもなっている「神の沈黙」です。

この物語は映画の予告編でイメージされるような、凄惨な拷問は思ったほどは出てきません。海外ドラマ「24」の拷問の方がひどいくらいです。

取り調べをする役人も、信仰を本当に捨てろとは言っていない。形だけ踏み絵を踏めば良いというのです。
しかしながら、肉体を苛む拷問より、もっと苦しみを与える責めがあるのですね。

多くの人に読んでほしいので、これ以上はネタバレをしませんが、そんな時にも神は「沈黙」をしたまま。

日本というキリスト教が根付かない風土に生まれた作品ながら、海外のクリスチャンの感銘を受ける理由がよくわかりました。マーチン・スコセッシ監督の映画は実に楽しみです。

この中で、ひとり出色のキャラクターに卑屈で弱虫な裏切り者、キチジローが上げられます。

この作品の中で、パードレ・フェレイラとロドリゴは実在の人物でモデルがいます。井上筑後上も実在で、元キリシタンだったそうですが、おそらくは裏切り者のキチジローは架空のキャラクターでしょう。

わかりやすく例えると、キチジローは「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男とか、「アンパンマン」のバイキンマン、ドキンちゃんでしょうか。
このように善悪を往復して、相手によって味方になったり敵になったりするキャラクターは神話に多く登場します。

それは人間の弱さ、または弱さに徹することのできない中途半端な良心に根ざした、人の持つ多面性をあらわしていると言えましょうか。
映画では窪塚洋介さんが演じるとかで、キャラ的にはピッタリ。

これまた楽しみでもあります。

ともかくも「沈黙」は紛れもない名作です。ぜひ一読のほどを!

 

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